そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

入院してました。

去年の年末、突然倒れて救急車で運ばれ、年末から年を越して1月初旬頃まで入院しておりました。


本来であれば年末か正月あたりにでも遺体で発見されていたところ、不思議な出来事により、奇跡的に命をたすけていただきました。

その時の出来事を書かせていただきます。




まずは前提として私の住まいからお話をしますと、私は実家で暮らしております。

お恥ずかしい話、最近では実家の子供部屋で暮らすおじさんを「こどおじ」と言うらしく、嘲笑の対象とされやすいそうです。


…が、一応言い訳をさせていただきますと、24年間住み込みでいた布教所を出た後、正社員の仕事も見つかり、賃貸による一人暮らしを考えていた時期も有ったのですが、実家の神様のご用をさせていただく為にも、また、一人暮らしとなると、羽目を外しすぎて勝手な生活をしてしまい、お道を忘れ、神様を心から離してしまう(そうでなくとも普段から忘れがちですが)恐れも有るため、実家でお世話になり続けるという選択肢を選ぶこととなりました。


その時の心境についてはこちらで記事にしております。

kokoroetigai.hatenablog.com




 

まあ、そうでなくとも今回の出来事でやはり一人暮らしは出来ないと実感した次第であり、今も父と(母は出直しております)二人で、実家にて子供部屋で過ごしております。



それでは、本題に入りたいのですが、その前にもう一つ前置き。


私は身上を患っており、生きていく為には薬が手放せません。

 

副腎皮質ホルモンの一種のコルチゾールという成分があり、通常はそれが体内で分泌される訳ですが、私は自分の体ではその成分を分泌することが出来ません。

 

 

しかし、生きていく為にはそれは絶対に欠かすことは出来ず、命にも関わるものなので、私の場合は薬で補充しなければならず、コートリルという薬を、毎日1.5錠飲み続けなければなりません。

 

 

初めてこの薬を処方された時、検査結果を見た医師が驚いて「今までいつ死んでてもおかしくなかった」とまで言われました。
それほど重要な成分なのだそうです。

 

 


今まではI病院にかかっており、I病院の医師より、毎朝1.5錠(1錠と、半分に割った半錠)を飲むように指示を受けており、確かに指示された通りに飲んでおりました。

 

 

ところが今回救急でK病院に運ばれた訳ですが、K病院の先生の説明によりますと、このコルチゾールというものは、普通の人の場合、例えば発熱など体調を崩した時なども勿論、激痛を伴う大怪我や、歯医者で抜歯をしたなど、身体にストレスや異常がある時にはこのコルチゾールが普段の倍の量が必要とされ、分泌、消費されるそうなのです。

 

 

なので、私の場合は、当然自分で分泌が出来ないため、身体に異常が有るときは、普段の倍の量の薬を飲まなければならないそうなのです。

 


さらに言えば朝に1.5錠飲んでおりましたが、そもそも朝にそれだけ飲んでも、夜にはほぼ消費されてしまった状態になってしまうそうなので、朝に1錠、夜に半錠といった飲み方をした方が良いとも説明してくださいました。

 

 

 

しかし、今までは以前の先生の指示通り、体調に異常が有っても無くても、朝に1.5錠しか飲んでおりませんでした。
そこに今回の原因があったそうです。

 

それでは前置きが長くなってしまいましたが、今度こそ本題です。

 

 


昨年、4月に修養科を卒業し、パートなどを経て、9月に正社員の仕事が見つかり、試用期間として働いておりましたが、仕事が合わないこと、職場の人間関係など、諸々の事情によりストレスを抱え、体調にも変化が出たため、これ以上の継続は無理と判断し、退職の意向を固め、11月いっぱいをもって退職しました。

 

 

再び無職となり、12月では今から面接というのもなんだか中途半端な気がして、そのままズルズルと毎日を過ごしておりました。

 

そして27日の夜のこと。


その日の夜は大変寒く、毛布2枚掛け布団1枚かけていても寒く、暖房つけようか迷っていたのですが、働いてもいないくせに家の電気代使うのも申し訳なく思い、少し寒いくらいどうということはないだろうと、我慢して寝ておりました。

 

 

しかし、夜中に目が覚めると、鼻は詰まるし咳は出るし、ちょっと熱っぽい。どうやら風邪をひいてしまったらしい。

 

まあ明日病院に行けば2. 3日で治るだろう。くらいに思っておりました。

 

 

ところが朝起きる頃にはもうフラフラで意識も朦朧としている。

 

家の神様は、朝の掃除と献饌は私が、夕方の撤饌、掃除は父がやるように分担していたため、朝の掃除と献饌をしなければと、フラフラな状態でどうにかやっていた訳ですが、恐らく熱で頭も働いていなかったので、きちんと出来ていたかも分からない状態。(後日、父に聞いたところ、御神酒の蓋が取れていなかったそう。)

 

 

どうにか終わり、そんな頃にはとにかく辛くて布団に入りたい一心で、その時に薬を飲めばまだいくらか良かったのでしょうが、残念ながらそんな正常な判断力は既になく、そのまま寝てしまいました。

 

 

 

ここまでがどうにかギリギリ頭が働いていた頃の記憶。

 

 

そこから先は殆ど意識はなく(後から考えれば)現実に起きていたことが、夢でも見ているかのような状態。

 


そんな、夢だか現実だかも分からない朦朧とした状態のなかで、どうにか記憶に残っているのが以下の出来事です。

 

 


神様の献饌が終わったあと、2階の自室で寝ていたはずが、気が付けば何故か1階の居間にあるテーブルの前に座っていて、父親から「大丈夫?」「体調悪い?」と話しかけられました。

 

 

確かに部屋で寝ていたはずなのに、自分が1階に居るのはおかしい。なので、これは夢なんだろう。
そんなふうに思っていたら、気が付けば救急隊員らしき人が自分の周りに居て、何やらとても騒々しい。

 

 

そこからまた気が付けば病院らしきところで、白衣を着た人たちが慌ただしくしていて、腕には点滴の管やら何やらが色々と体に巻き付いている…


実は以前にも意識無いまま救急で病院に運ばれて生死を彷徨った経験が2度あり、数人の医師と看護師。医療機器などに囲まれていれば、いくら意識朦朧でも、過去の記憶から、流石に夢じゃないのが分かる。

 

 


それからはっきりと意識が戻った時は、病室のベッドの上でした。

 

そうなってくると不思議でならないのが、何故あの時自分は1階にいたのか。

 

確かに2階の部屋で寝ていたはず。そんな風に困惑したまま退院の日を迎え、当時の状況を父親に聞きました。父曰く

 

 

その日は偶々仕事が早く終わり、いつもよりずっと早い時間に帰宅したそうです。
そうして居間でくつろいでいたら、私が2階からのそのそと降りてきたかと思えば、無言でそのまま座って俯いたままピクリとも動かない。

 

 

様子がおかしいと思い、大丈夫かと聞いても返事がない。


これは明らかにおかしいということで慌てて救急車を呼んだとのことでした。

 

 

自分では2階の寝室から1階に降りた記憶も無ければ、降りようとした意思すらない。
それなのに1階に降りたということは、自分の意思とは関係なく、体が勝手に動いて1階まで降りていたようです。

 

 

今回、病院に運ばれるのがもう一歩遅かったら命は無いところでした。


普段は同じ家に住んでいても、丸一日、父親と顔を合わさない日だって珍しくもない。

 

 

そこから考えると、本来であれば誰にも気付かれないまま布団の中で息を引き取り、年末か正月あたりにでも、全く顔を出さない私の様子を見に来た父親に、遺体で発見されていたところでした。

 

 

 

それが、自分の意思とは関係なく体が独りでに動いて1階まで降りて、しかも父親がその日に限り、偶々仕事が早く終わって帰ってきていたのはまさに奇跡でした。

 

神様がたすけてくださった以外に考えられない出来事でした。

 

 

 


*余談*
本来であれば退院してから数日以内には、この記事を書いて更新しようとしていたのですが、なかなか上手く文章がまとまらず、PC画面とにらみ合い、ちょこっと書いてはすぐ止めての繰り返しで集中して書くことが出来ずに、ここまで日数が掛かってしまったうえに、何とも締まりのない文章になってしまいました。

心が怠けきっている証拠です。

 

 

 

不足したならそれ以上に喜べばいいのでは【修養科の出来事】

修養科中には色々な反省が有りましたが、その中の一つ。

修養科のハッピについて。

 

 

私が修養科に行くことが決まり、ハッピに修養科生用の襟を縫い付けなければならないということで、同じ布教所の信者さんで、裁縫が得意な松中さん(仮名)が、それを快く引き受けてくださいました。

 

この松中さん(仮名)は、普段からよくお世話になっている方で、自分のでもやろうと思えばそこそこ面倒なのに、慣れてるとはいえ二着も縫い付けてくださり、本当に有り難いことなのですが、その恩を不足の心で返してしまったという反省です。

 

 

 

教会勤めの初日、そのハッピを着ていたところ、右の襟と左の襟で文字の高さがずれており、教会の先生より、文字の高さを合わせて真っ直ぐに着るようにご注意を頂きました。

 

しかし、後になって気づいたのが、着方がズレていたのではなく、ハッピの襟自体がズレており、左右の袖を合わせて真っ直ぐ着てもズレてしまい、むしろ文字の高さを合わせるとハッピがズレてしまうという状況。

 

 


2日遅れて仮の受け入れ先となった詰所で約2週間過ごしましたが、本来の詰所に比べて自由時間が多いので、その自由時間を使って、2着のうち、片方だけでも直そうと、一度全部バラしてチマチマと時間を掛けて、手縫いで縫い直すことにしました。(簡単な裁縫セットは持ってきていたので。)

 

これはバラしてから気付いたのが、印刷?によるミスなのか、縫い付けに問題が有るのではなく、元々左右の文字の高さがズレていたのが原因でした。

 

 

文字の高さが合うようにほんの少しだけわざとズラして縫うことで解決。
下の方を見ると、片方ははみ出ているのに、もう片方は長さが足りてないという、見た目はやや問題あるが、自由時間を使っては何日かかけて、どうにか縫い直すことに成功しました。

 

 

 

そして本題。
バラした時にふと、もう後戻りもできない、バラバラになったハッピと襟を見て、バラしてまで縫い直すことに何の意味があったのかと考えました。

 

 

そもそも直そうと思った動機は何なのか。

心の根底にあったものは何か。

 

自分の心を省みたとき、それは高慢の心が一番の原因でした。

 

 


24年間布教所に住み込みで勤めてきて、数え切れないほどハッピも着てきて、若い子が間違ったハッピの着方をしていれば教えたことも何度かあり、それが今更になってハッピの着方でご指摘を頂いてしまったのが悔しい。恥ずかしい。

 

ハッピくらいさらっと着こなして流石と言われたい。

 


そんなくだらないプライドが原因で、わざわざ松中さん(仮名)が、襟の縫い付けを快く引き受けてくださったのにも関わらず、それをバラしてしまい、松中さん(仮名)のご厚意を台無しにしてしまっただけでなく、不足の心で返してしまったのだ。

 

 

 

文字がズレていることに何の問題が有るのか。

 

ご指摘を頂いたところで、その度に「すみません」と言って直せばいいだけの話。

たったそれだけの事が嫌で、不足してしまったのだ。

 

 

本人が善意でやったことでも、受け取る側が不足で受け取れば、その人は人を不足させたことになる。
悪意でやったことでも、受け取る側がそれを喜べば、その人は人を喜ばせたことになる。


私が文字のズレを不足したせいで、松中さん(仮名)が人を不足させたことになってしまった。

 

 


前回の記事で書いたように、奥さんより、高慢の心を使わないようにとお言葉を頂いたにも関わらず、早速使ってしまったばかりでなく、人のご厚意を不足で返してしまったという情けない事態に、深く反省をした出来事でした。

 

 

 

 

 

ここまでの話は、仮受け入れ先の詰所で一度だけ夕勤めの後に講話の機会を頂き、その時に同期の8人と詰所の先生に反省話としてお話をさせていただいたことが有りました。

 

しかし、その後で考え直した事が一つありました。

 

悪意でやったことでも、受け取る側がそれを喜べば、その人は人を喜ばせたことになる。

だったら、不足をしてしまった分、それ以上に喜べば良いだけの話ではないのか。

 


人間であればどうしても気付かないうちに埃の心は使ってしまうもの。

 

直した方のハッピはそのままにして、まだ触っていない、松中さん(仮名)に縫って頂いたままのハッピを今後も着続け、文字のズレを見る度に、人からご指摘を頂く度に今回の反省を思い出し、自分の心を省みる機会にできる。

 

指摘を頂く度に「すみません」と言って頭を下げて直していれば、低い心を使う練習もできるのだ。

 

前回の記事で言った「高慢の心を使わないよう、常に自分の心を省みることを心掛けて、三ヶ月を過ごさせていただこうと思った」その矢先に自分の心を省みる機会を、こんなにも身近に見つけることが出来たのでした。

 

そう考えれば、こんなに喜ばしいことはない。

 

これらが全て神様のご守護だとしたら、とても有り難いことだ。

 

 

これからは、度々この事を思い出しては自分の心を省みて、その度に喜びを噛み締め、また一つ神様に感謝させていただけば、きっと不足した以上に喜ぶことが出来るだろう。

 

そう思わせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

実際に出来ていたかはやはり別のお話。

 

 

 

高慢の心【修養科の出来事】

今更ですが、前回の続きです。
 


前回の記事でも言ったことですが、うちの教会では、修養科の前後に教会で5日間勤める(五日勤め)ように決められていて、教会での五日勤めの翌朝におぢばに出発して、修養科が終わったら教会に戻り、教会で五日間勤めた後で解散ということになっています。

 

その最初の五日勤めのある日、布教所の奥さんに呼び止められました。

 


 
私は24年間布教所に住み込みで勤めていて、お手振りも鳴り物も、一応ですが一通りは出来て、お道の話もほぼ毎日聞いていた。
掃除や献饌、撤饌などの作法も一通り経験している。

対して、元々信仰はしておらず、会社の研修の一環として来ている、言わば、天理教を全く知らない人たちも居る。

同期の9人中、6人がそうである。


そういった状況の中で、ある程度お道を知っていると、教えなければいけない場面もできる。すると自分でも気づかないうちに高慢の心を出してしまうことにもなり得る。

高慢の心を使ってしまうと、不足もするし、不足をすれば風邪もひく。
 


高慢というのはいつの間にか使ってしまっていることも多いので、気を付けて通ると良い。といったお言葉でした。



自分が高慢で有ることは重々承知していたことでもあって、確かにこういった状況ではより高慢になりやすい。

頂いたお言葉を有難く受け止めると共に、実はもう一つ気になっていた事が有りました。

 


 これはまた後日、詳細を記事にしようと思っていることなのですが、ハッピの文字の位置がズレていたこと。

 


自分でも気付かないうちに高慢の心を使ってしまうなんてことはよくあること。こうしている今も、何か心得違いをしていることが有るのではないか。

ハッピのズレは、自分の心がズレていることを、もしかしたら教えてくださっているのではないか。

 

 


これらのことが気になったので、翌朝、ここに至るまでに何か心得違いをしている事があれば教えてくださいと、神殿にて神様にお願いをしておつとめをしました。

 

 

そのすぐ後に、自分の心得違い、心のズレを、教えていただいた出来事がありました。

 

 

 

 

本部へ出発する前に洗濯物が溜まってきたので、洗濯をしたいと思っていたところ。

洗濯について同期の皆と話をしていました。

 


本来は修行で来ているのに、少量の洗濯をするのに一人で一台を使うのはさすがに気が引けるので、2.3人で一台を回そうという事になっており、呼びかけたところ、F氏とS氏も洗濯がしたいとのことだったため、自分含む3人で、朝食後に洗濯機を回しました。

 

数時間後、ひのきしんが終わり、次のひのきしんまでの休憩の時間に、洗濯機の様子を見に3人で洗濯場へ行くと、洗濯場の係の方がみえており、洗濯機についてご注意をいただきました。

 

 

洗濯場には、全自動と、洗濯から乾燥まで出来るドラム式があり、ドラム式をお借りして洗濯していた訳ですが、ドラム式は乾燥までやると時間が掛かってしまい、修養科生がそれをやってしまうと、教会の大事な用で洗濯しようとしても、その間は使えないことになる。

こう言っては悪いがあなた方は修行で来ているのであって、詰所に行けば手洗いで洗濯をしなければいけないこともある。全自動でやるか、ドラム式でやるにしても脱水までにして、あとは自分たちで干すということにした方が良いのではないか。

とのこでした。

 

 


確かに仰る通りで、ドラム式で乾燥までを機械に頼れば、後は畳んで片付けるだけなので自分たちは楽ではあるが、その間の数時間は洗濯機を塞いでしまい、教会の用事で使いたくても使えないことになる。

折角修養科に来ていても徳を減らしてしまうことになる。

係の方に優しく教えて頂き、F氏、S氏の三人でお礼とお詫びをしてその時は終わったのですが、その時にふと

「俺がこんなことを言われていてはいけないな」
という考えが頭を過った。

 

 

元々信仰心はなく、会社の研修で来ていたF氏、S氏と違い、24年間布教所に住み込みで勤めてきて、そんなことは幾度となく教えていただいてきた筈の俺が、今ここでこんな事を言われているようでは駄目だ。

 


そんな風に考えていたところ、また一つ別の疑問が頭を過りました。

「俺は誰だ?」

という疑問でした。

 

 


うちの教会では、五日勤めの2日目に、同期の中から主任、副主任を、教会の役員先生に決めていただくことになっており、その主任副主任を、立てるべきところで立てて、皆で助け合って3ヶ月間を過ごしていくわけであり、主任はN氏、副主任はF氏だ。


「俺」というものは何の立場でもない。

 


主任、副主任を中心に、9人が同じスタートラインに立っているはずなのに、自分一人住み込みという経験が有ることから「俺」だけスタートラインが一歩前にいるような、そんな高慢の心をいつの間にか使ってしまっていたのでした。


それを神様が教えてくださったのかも知れません。

 

 

 

この先、修養科の3ヶ月の間、もしかしたら…というより、間違いなく、またいつの間にか高慢の心を使ってしまうだろう。

 

心の埃というものは、気付かずに使い続けてしまえば、積りに積もって、いつしか自分では払い切れなくなってしまうもの。

高慢な人ほど、自分が高慢であることに気付かないと、教祖が仰ってくださったお言葉を聞いたことが有ります。

悪口になってしまうかも知れませんが、この人は自分が高慢だということを知らないんだろうなという人が私の知人にも数名います。

 

 


しかし、人間であれば埃の心を使ってしまうのは、ある程度は仕方のないこと。


その埃に早くに気づいて、常に心の掃除をする事が肝要であるとお聞かせいただきます。

 

 

布教所の奥さんから頂いたご注意の言葉を忘れないよう、常に自分の心を省みることを心掛けて、三ヶ月を過ごさせていただこうと思った出来事でした。

 

 

 

 


実際に出来ていたかは別のお話。

 

 

 

修養科に行ってました

二月、三月、四月と、修養科に行っていました。

6月になるのに今更になって四月の話をしているのは情けないのですが、最近何かとバタバタしていたのと、いざ書こうと思ってパソコンの前に座っても、なかなか思うように書けず、つい動画見たりゲームを初めてしまったりという情けない事態に。

修養科の出来事を一つの記事にまとめて書こうとしたので、なかなか進まなかったということもあったので、小出しにしてまとめることにしました。

暫くは短い記事を連発することになると思います。

 

 

本題に入ります。

 

修養科に行こうとした理由は色々とあるのですが、元々の切っ掛けは、恥ずかしい話なんですが、今まで勤めていた会社を辞めたかったこと。会社を辞めるにあたって、退社の理由をどう説明しようか悩んでいた時に最初に思い浮かんだのが、どうせ辞めるのなら、この機会についでに修養科に行って、修養科に行くことを理由にすればいいのではないかということ。

 

しかし、会社を辞めるこじつけに利用するようなことはやはり良くないなと直ぐに思い直し、会社には退職理由は正直に話すことにしたのですが、それでも修養科というものを改めて考え直し、おぢばで過ごさせて頂く3ヶ月というものを想像したとき「ついでに行く」ではなく「行きたい」という気持ちに変わりました。

 

八月に会社にその旨を伝え、いつ辞めるんだと聞かれたので、遅くとも翌年の春までには行きたいが、ある程度は会社の都合に合わせますと言ったところ、社長より「早ければ十月、遅くとも年末までには退社できるようにする」との言葉でしたが、結局は十二月末に退社が決まり、二月から修養科に行くことが決まりました。

同じく二月から一緒に修養科に行く同期は9人でした。

 

 

うちの教会では、修養科の前後に教会で五日間勤める(五日勤め)ように決められていて、教会での五日勤めの翌朝におぢばに出発して、修養科が終わったら教会に行き、教会で5日間勤めた後で解散ということになっています。

 

その、最初の五日勤めが終わった次の日のこと。朝の9時に出発という予定だったので、修養科生皆で荷物を持って、いざ出発というところで突然待ったが掛かりました。

 

宿泊予定の詰所で、コロナウイルスの感染者が出てしまい、受け入れ不可という事態が起こってしまいました。

荷物も持って、バスが来るのを待つだけという状況での突然の予定変更、出発延期ということで、同期の皆も困惑気味でしたが、そうは言っても仕方のないこと。

結局教会で、出発出来る時を待ちながらひのきしんということに。

 

28日に、上級教会の詰所で受け入れて頂く事が決定したとの連絡があり、翌29日の夕方に出発。夜にようやくご本部に到着しました。

 

そこから修養科が始まりました。

約二週間、上級教会の詰所で過ごさせて頂きましたが、(自分の記憶が正しければ)16日に、本来の詰所で受け入れ体制が整ったとのことで、この日の夕方に詰所に移動。

慌ただしい引っ越しも終わり、ようやく明日から本来の修養科が始まる…かと思いきや、またもコロナが発覚。先輩の修養科生が陽性反応でした。

 

他の修養科生も感染してしまっている可能性も高く、学校にウイルスを持ち込んでしまう訳にもいかないので、その日から登校中止。それぞれ自室待機ということに。

 

その後も色々とあり、結局登校再開出来たのは、月末も近い頃でした。

 

その後2ヶ月を過ごし、四月末に無事修養科を卒業に、教会の五日勤めも終わり、同期と名残惜しい別れも済ませ、家に帰ると、なんと今度は親父がコロナの濃厚接触者で自宅待機中とのこと。

 

二日後にはおぢばに帰り、詰所に残しておいた荷物を取りにいかなければならないので、食べ物を買い込んで、二日間自室に引きこもることに。

 

しかし、いつまでも自室引きこもりもしていられず、結局は数日の間、自分も自宅待機することに。Amazonで簡易検査キットが買えたので、検査したところ結果は陰性。

 

 

いざ出発かと思ったら詰所で陽性反応があり出発延期。

上級教会の詰所から本来の詰所に移動したと思ったら翌日にまたも陽性反応。登校中止。

家に帰れば今度は親が濃厚接触者。

 

散々と言うかなんと言うか…

 

そう思うと、自分は余程難しい所を凌がせて頂けたのだろうか。

大きな節が迫っている所を、大難は小難、小難は無難に変えて頂けたのではないかと思わずにはいられません。

 

人それぞれに修養科に行く動機というものが有り、教会長、布教所長に勧められて行く人、自ら志望して行く人、定年退職になって行く人、身上、事情に迫って行く人、様々ではあると思いますが、どれも人が決めた訳ではなく、神様が引き寄せて下さるのだとお聞かせ頂きます。

 

修養科に行きたかったけど、なかなか行く機会に恵まれないという人も知り合いにいます。

行く気は無かったけど仕方なくという人も同期に何人かいました。

 

修養科に行くことになるのも、二月から行くことになったのも、同期の人たちが同期として集まったのも、なってくるのが天の理のお言葉通り、全て神様が引き寄せて下さるものだと聞かせて頂きます。

 

そこから思案させて頂くと、会社を辞める口実に修養科が思いついたのも、行きたいと思うようなったのも、退社が十二月まで引き伸ばされたのも、全て神様だったのだと思わせて頂きます。

 

修養科の三ヶ月は、学べたことも多々有りましたが、同時に反省や後悔も多々あります。

自分の癖性分の強さも改めて実感させられました。

同期に色々と迷惑も掛けてしまったように思います。

 

それでもあの9人と一緒に行かせて貰えて良かったと思います。

 

 

取り敢えず今回の記事はこれだけで終わらせて頂きます。

 

 

苦労艱難を自ら求める

おさしづは宝(一部抜粋)

おさしづは宝とは、父が日々、神様の御心を進んで求め、おさしづを研究し、そのおさしづを解釈したものです。
今回はそんな「おさしづは宝」からの一部抜粋となります。

 

 明治三十一年七月十四日 夜
昨朝本席御身上御願い申し上げば、夜深に尋ね出よとの仰せに付願

よう事情聞き分けてくれ。長い間や。年限々々長い年限の間、艱難苦労という道は、毎夜々々話したる。
道の上から見れば、今日の日と言えば、何処からどんな事言おうが、皆世界に力がある。危ない怖わいという処、連れて通りたる。未だ一寸分からん。連れて帰る処も分からん。
(ようこの事情を聞き分けてくれ。たった一つの救けの理である処の、長い間の苦労艱難の道の話をするのやで。
結構な末代の理が治まる為には、真実誠の種を蒔く為の長い年限々々の苦しみの道と、蒔いた種を強く大きく育てる為の長い年限の間の修理肥やしの理が必要であるが、そんな苦しみの道の中を、理に守られながら安心安全に通り抜ける為には、教祖の後を慕って艱難苦労のひながたの道を通り抜けるより他は無いという真実誠の神一条の道の話は、毎夜々々話したるであろう。
道の上から見れば、誰もが皆、長い間神の思惑に沿えなかった親不孝の理〈恩を仇で返し続けた最大最悪の悪因縁〉の掃除をして結構な末代の理を治め、世界の道の台となって尽くす事が第一であるが、今日の日と言えば、誰も皆心次第の道を通して居るのやから、今一時の結構を捨てて道の為・世界の為に尽くそうとする真実の心が定まらなければ、何処からどんな事を言おうが、結構な天の救け道を通してやる事は出来ないのであり、結構な道を連れて通してやる事が出来ないから、皆それなりに世界を無難に通り抜けるだけの力があると言うのや。
道の為・世界の為に尽くそうとする真実の心を受け取って、その心を洗い清めて強く育てる為の、危ない怖わいという処を連れて通りたると言うのやで。
艱難苦労のひながたの道というは、自ら求める真実の心に応じて、心通りに神が連れて通す真実誠の神一条の道であるという事が、未だ一寸には分からんのや。
世界為・道の為に尽くす為には、一人先に立って胸の掃除の為の苦労艱難の道を通り抜け、さしづ通りの道を通り抜けて、長い間に積み重ねた残念の理を改め、結構な末代の理を治めて、受けた恩を立派に返してこそ人にも伝える事が出来るのであるが、そうして神の思惑通りの長い苦しみの道を通り抜けた者を、真実誠の神の道具として、元の屋敷へ連れて帰るという処も分からんであろう。)

(中略)

つとめ場所/\よう聞き分け。何やら分からん。つとめ場所は世の元という。世界今は皆んな耳に聞いて居る。この元小さいものやという。それから順序という。隠れ走り年限という。
(たとえそれが分からなくても、元のつとめ場所/\から世界中へ理を写し、有無を言わさず世界中を救け上げる為の、明らか鮮やかな鏡屋敷の理である事だけは、よう聞き分けなければならんで。
それとても、道の為・世界の為に尽くそうとする真実の心が無ければ、何が何やら分からん話であろう。
元のつとめ場所というは人間を創め出した世の元という。
この道は、濁り切った世界中を救ける為の元の道であるという事を、今は皆んな耳に聞いて知って居るであろう。
この元に成る真実の理は、人が驚くような大層なものでは無く、誰でも心一つで定められるような、澄み切った心の理の小さいものやと言うてある。
濁り切った人間思案を捨て切って道の為・世界の為に尽くそうとする真実さえ定まれば、真実誠の神一条の道が始まるのであり、定まった心を育てる為の天然自然順序の理が定まるというのや。
天然自然の順序の道は、濁り切った胸の掃除をして明らか鮮やかな天理を治め、結構な末代の理を治めて世界導く道の台と成る為に、人に笑われそしられながら、隠れ走りをする年限の道と言うのやで。)

(中略)

三十年以前あちらもこちらも草だらけ、破損ばかり。建家数えてみよ。皆仮家建ちに建て替え。今日は何処にも仮家々々、ほんに成程と言う。国々それ/\にも出来来たる。年限経つ経たず順序草生えの中からの理を聞き分けてくれ。口説き話という。杖柱という。一年二年三年という。
(三十年以前の道〈飯降伊蔵と眞之亮が出て来る前〉は、あちらもこちらも草だらけ、破損ばかりや。
三十年の苦労艱難の道によって出来て来た建屋〈今日の立派な天理教会〉を数えてみよ。
なれど、三十年の苦労艱難の道によってこれだけの道が出来た事を思えば、広くて大きな世界救けの本道を建設する為には、今は皆不自由第一の仮屋建ちに建て替えるのが本当であろう。
今日の道は未だ仮の道であって、何処にも仮屋々々を立てて尽くすのが誠の理であり、広くて大きな世界救けの道を完成させる為に不自由第一の仮屋の理で尽くし、人に笑われそしられながら満足たんのう治めてこそ真の誠、誠であればこそ、日々明らか鮮やかな理が働いて多くの者が寄り集まり、ほんに成程という事に成るのや。
そうして運んだなら、国々やそれ/\の所にも結構な道が出来来たると言うのや。
年限の理が経つ経たずの中から、苦労艱難の天然自然の順序の道を通り、草生えの中から立ち上がって来たという三十年の理をよう聞き分けてくれ。
それを伝えたい為の口説き話という。そうして真実尽くしてこそ、神の杖柱に成ると言うのや。
真実に聞き分けて運ぶなら、その中の真の苦労は、ただの一年二年三年というのやで。
真の心に誠さえ有れば、不自由しようと思っても不自由は出来やせんと言うて有るわい。)

誠の/\連れて通りた。一人順序の理があるわい。差し詰まりた日あるわい/\。あった時にはどうするか。古い事は差し措いて、人間という心蔓りて/\、それに付き添い、よう/\連れて通りた心察してみよ。順序になるかならんか。
(たった三年の苦労艱難の道で治まると言えば皆不思議に思うであろうが、五十年にも渡る真実誠の神一条の道/\を、連れて通りた教祖ひながたの道が有るであろう。
人間の力ではとても通り抜ける事の出来ない五十年の胸の掃除の道を、教祖の後を慕おうとする子供に写してやる為に、教祖が一人先に立って通り抜けたという順序の理が有るわい
誰も皆教祖の後を慕おうとしないから、扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうかと差し詰まりた日があるわい/\。
もうこれではどうにも成らんから、元の泥海に還さなければ成らんというような事があった時にはどうするか。
誰もが皆人として生き永らえる為の大事な古い事〈ひながたの道〉は差し措いて、勝手な人間の理ばかりを諭すから、一寸先も見えない人間心という暗がりの心がはびかりて/\しまい、止む無くそれに合わせて神が付き添いをし、よう/\の思いで連れて通りて来たという残念な心を察してみよ。
こんな事で、真実誠の順序の道に成るか成らんかよう思案してみよ。)

(中略)

一日々々見え来る/\。楽しんで居る/\。楽しみの元というは小さいもの。もう年が明けたらや、さあ年が明いたらやと言うて、十年連れて通りたる。
(世界中の兄弟に理を写して頂く為に、一人先に立ってひながた通りの道を運ぼうとするなら、一日々々と鮮やかな理の働きが見えて来る/\のや。
速やかに聞き分けて神の思惑通りの道を運んでこそ真実誠の道の台と成るのであって、先々は結構な末代の道を楽しんで居る/\という事に成るのやで。
先々の楽しみの理の元というは、誰もが驚くような大きなものでは無く、人に笑われるような小さいものや。
澄み切った真実を定めて尽くしたとしても、結構な先々の理が見えるのはもう少し先で
あり、年限の理が明けたらや、さあ年が明いたら神が働くのやと言うて、十年の苦しみの道を連れて通りたるのや。)

(中略)

本席の事情で御座りますか
さあ/\中には一つの理も分かる。又中には一つの理もあろ。一段二段三段、一二三、これまでちょい/\話したる。一二三話し掛けた/\。
(さあ/\多くの中には一つの理〈この道は世界救けの為の真実誠の神一条の道であり、世界の為に尽くすより他に結構という理は無いという一つの理〉の働きも分かる者も有る。又理を聞き分けて長い年限尽くす中には、何もかも捨てて道の為・世界の為に尽くし切った一つの理もあろ。一段二段三段の道であり、一二三の順序の道であると、これまでちょい/\話したる。
一は神を信じて世界の為に尽くそうとする誠の心の定まりの理であり、二は定まった誠の心を育てる為の天然自然順序の理の定まりの理であり、三はその中を満足たんのうして通り抜けてこそ結構な先々の理が治まって世界救けの為の真実誠の道の台と成って尽くす事が出来るという事であり、それだけの事を一二三の理を以て話し掛けた/\のや。)

 

 

道の為・世界の為に尽くそうとする真実の心を受け取って、その心を洗い清めて強く育てる為の、危ない怖わいという処を連れて通りたると言うのやで。
艱難苦労のひながたの道というは、自ら求める真実の心に応じて、心通りに神が連れて通す真実誠の神一条の道である

この部分を読んだ時「苦労を自ら求めることで神様にお連れ通り頂けるのだ。」そう思い、家の神様の部屋に座り、お願いをしました。

「どのような苦労も、たんのうの心で通れるよう、ささやかながら努力をさせて頂きます。どうかお連れ通り下さい。」

その矢先、布教所祭典の帰りの交通事故でした。

信号に全く気が付かずに交差点に進入してしまい、相手の車に衝突してしまいました。

相手の方は軽い怪我ではありますが、全治一週間でした。

 

100%こちらの過失なので、それを神様のご守護とは自分では言いにくいところでは有りますが、父は、因縁どおりであればもっと大きな事故をしていたかもしれない。それを形ばかりの事故で済ませて頂けたのだと教えてくれました。

 

 

今、世界ではコロナウイルスが世界中で蔓延しています。父は、これからもっと恐ろしい事が起きてくる。コロナウイルスはまだそよ風のようなものだと言いました。

 もうこれからは、自分の為の信仰や、人間の理を第一に立てるような信仰では通れなくなります。

人間心を捨てて、無条件で神様に従うようでなければ、お連れ通り頂く事が出来なくなってしまいます。

 

 そう聞くと、自分にはとても無理だと思ってしまう方もいらっしゃるかと思います。しかし、何も「何事も成し遂げ、何者にも屈しない」といった、壮大かつ強靭な精神力は必要無いように思います。

 

 この元に成る真実の理は、人が驚くような大層なものでは無く、誰でも心一つで定められるような、澄み切った心の理の小さいものやと言うてある。

 人間にそこまでの力が無いことは神様もよく分かって下さっているとお聞きしたことがあります。

おさしづを信じ、おさしづをよく心におさめ、何事もおさしづに従って通らせて頂きたい。その心を神様がお受け取り下さるように思います。

 

七分三分の理が有ります。

 人間の考えや知恵、力で「これだけの事をしよう。」としても、それは神様ではなく、やはり人間の考えです。例え七分の事をしても、神様は三分にしか受け取って下さいません。

神様のお心を求め、神様に凭れ、神様に従って通らせて頂こう。そこには余分な人間考えは有りません。そのたった三分の心を神様が七分に受け取って頂けると教えて頂きます。

 

また、どのような艱難苦労の中もたんのうの心を神様は受け取って下さいます。

布教所住み込み時代。住み込みの者(以下、入り込み者)が大変苦しんでいた時期が、数年有りました。
先代所長さん父娘の、とてもお道とは言えない、自分勝手で滅茶苦茶な振る舞いに悩まされておりました。ボクも毎日が嫌で嫌で仕方が有りませんでした。しかし、そんなある時に気がついたのです。

教祖ひながたの苦労の道を通させて頂かねばならないとは思うが、誰も苦労は嫌だ。しかし、何も自分の考えで苦労しようとせずとも、今の現状は神様が我々に与えて下さった、ささやかながらも苦労であり、たったこれだけの事をたんのうの心で通れば、どれだけ神様が受け取ってくださることか分からない。そう思ったら嬉しくて嬉しくて仕方が有りませんでした。

 今までは所長父娘しか目に映らなかったのが、それからは神様が目に映るようでした。

 他の入り込み者に「俺は今の状況を喜んでいる」というと、半分冗談で「Mなんじゃない?」などと言われましたが、Mでは有りません。ボクだって辛いという感情は有ります。でもこれが神様が与えて下さった苦労であるなら、その苦しみをよく味わい満足するのがたんのうだと教えて頂きます。

例え辛くても、上っ面だけでも口先だけでも「ああ、有り難い。」と言っていると、本当に有難く思えてくるのです。

 

神様のお心を求め、神様に凭れ、どのような中もたんのうの心で通させて頂く。たったそれだけで神様に受け取って頂けるように思います。

 

一は神を信じて世界の為に尽くそうとする誠の心の定まりの理であり、二は定まった誠の心を育てる為の天然自然順序の理の定まりの理であり、三はその中を満足たんのうして通り抜けてこそ結構な先々の理が治まって世界救けの為の真実誠の道の台と成って尽くす事が出来るという事であり、それだけの事を一二三の理を以て話し掛けた/\のや

そうして通らせて頂こうと心を定めれば、神様が我々の心を育ててくださいます。時には大変な苦労も有るかと思います。その中を満足たんのうして通らせて頂くことで、世界救けの為にお役立て頂けるようになる。そうして末代まで結構な理が治まると教えて頂きます。

 

真実に聞き分けて運ぶなら、その中の真の苦労は、ただの一年二年三年というのやで。
真の心に誠さえ有れば、不自由しようと思っても不自由は出来やせんと言うて有るわい

そうして通らせて頂けば、その中の苦労は三年だけだと教えて頂きます。

 

 

 

今回、どのような苦労もさせて頂きたいとお願いさせて頂きましたが、それがこの事故だけで終わりなのか、まだまだこれから大変な事が起きてくるのか。それは分かりません。

それでも、その中をたんのうの心を忘れず通れるように、努力させて頂きたいと思います。

 

 

おさしづは宝ダウンロード

おさしづは宝をダウンロード出来るようになりました。

 

おさしづは宝

 

おさしづから教えて頂くことは、常に時代に合わせて変化しているとお聞きします。
神様の大掃除がいよいよ始まるにあたり、これからの時代に合わせたおさしづの解釈が進められています。
まだ未完成ですが、一部だけでもダウンロード出来るようにしました。

世界どんな事出来ても怖い道は無い

今回のこの記事は、平成29年(2017年)に書き始め、完成させる事も出来ないまま、下書き保存だけしていたものです。
当時の状況と心境を思い出しながら、今回改めて完成させました。

 

2年ぶりの投稿となってしまいました。

前回の記事が2015年の11月だったので、2年前の記事を書いた時点から現在までの状況の変化を簡潔にまとめます

 

入院後の体調不良は直に良くなり、引き続き弁当屋でアルバイトをさせて頂きながら仕事探し。

その後、2月には地元の町工場で正社員として雇って頂く事が決まり、現在もそこで順調に働かせて頂いております。

繊維製造業で、出来上がった布生地の検反(検品作業)を主に任せて頂いてます。

 

給料は決して少なくは無いのですが、何せ働き始めたのが39歳

それまでは布教所の住み込みだったため、貯蓄はほぼゼロからのスタート。

 

持病の治療費なども有り、将来的な事を考えるとあまり胡座をかいてもいられない気はする。

贅沢するだけの金は要らないが、もう少し将来に余裕持てるだけの副収入が有った方が良いのか…

簡単な副業的な事もやっておいた方が良いのではないか

例えば別のブログでGoogleアドセンスをやるとか

 簡単に説明すると

Googleアドセンスとは、Googleから用意された広告を、自分のブログやサイトに貼り付ける事で、成果に応じて収入を得られる事。

 

 役立つ情報や、人様に楽しんで貰えるブログを書く事で収入を得られれば決して悪い話ではない気がする。

 

やるだけやってみて駄目だったらそれまでの話ではないか

 

そんな風に考えて居た時に、youtubeで、ある動画を目にしました。

内容は、少子高齢化など、 日本の未来への不安など。

ボクは(当時)42歳(現在44歳)なのですが、このまま高齢者となった時の生活は大丈夫なのか

そんな頃には働く若者も激減しているでしょう。年金なども頼りにしていても大丈夫なのか。

 

これはいよいよ副業やっておくべきではないかと、副業用のブログも作り、Googleアドセンスの申請準備も出来たところで、一旦おさしづにお伺いをしてみようと、おさしづを開いたところ、

 

年限経ったものなら何ぼう節が有っても歪んだものでもこたえる。(中略)言葉一つがようぼくの力なら、どうする事も、戻す事も出来ん。皆んなそれに凭れ/\て若木が育つ。世界に何ぼ育つとも分からん。そうしたら世界どんな事出来ても怖わい道は無い。これから急いて/\何処まで急くやら分からん。(中略)あちらの国からようぼく、こちらの国からもようぼく、高い山にも山の背腹にも谷底にもある、低い所から引き出すには引き出し難くい。高い所から引き出せば早い/\。高い所のようぼくはする/\と下りて来る。どんなようぼく寄せてどんな仕事するやら分からん。小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい、をしい、うらみ、そねみの心はやめてくれ。

このおさしづが有りました。 

 

少子高齢化や、将来の年金などの不安から始めようとしていたことですが

 

 世界どんな事出来ても怖わい道は無い。

 それは神様を信じる事が出来ず、神様に凭れる事が出来ず、先案じという人間心からの考えでした。

どれだけ人間の知恵で上手いことをやろうとも、神様に受け取って頂くことが出来なければ何の意味も無いこと。

神様に凭れて、神様の思いに従って通らせて頂ければ、何も心配する必要がない。(それがなかなか出来ないのですが)そのように教えて頂いたように思います。

 

また

 

 ほしい、をしい、うらみ、そねみの心はやめてくれ。

 この時、上っ面では「将来的な事を考え…」「贅沢するだけの金は要らないが…」

このように思ってはいたのですが、ふと、自分の心によく目を当ててみると、それだけでは有りませんでした。

小さい頃から犬が好きで、大人になったら犬を飼うのが子供の頃の夢の一つでした。

現在は布教所の住み込みから出て以来、実家に住まわせて頂いているのですが、いつまでも実家の世話になっているのもどうかとの思いから、近々アパートで一人暮らしを始めようと思っていました。(病気などの理由から結婚はしないつもりでいる)

折角なら「ペット可」のアパートに引っ越して、犬を飼いたい。大型の水槽で熱帯魚も飼いたい。そんな風に思っていました。

月々の家賃に、新しい家具、家電、そして犬の養育費と水槽の維持費。時には美味しい物を食べたりもしたい。それだけの生活をする為には…

そんな心が根底に有りました。

 

もっと言えば、一人暮らしをしたい本当の理由も、実家住まいでは父も居て(母は出直しています。)多少は気を使う事も有るし、あまり好き勝手も出来ない。一人暮らしで自由に好き勝手が出来る生活がしたい。

午後3時から仕事なので、仕事に行く前に家の神様のお下げをさせて頂くのですが、アパートで一人暮らしならそれもしなくても済む。などといった、なんとも恥ずかしく、情けない心が有りました。

 

 そんな、ほしい、をしいの心で通っていては、ただでさえお道の心が離れてしまっているのに、尚更お道が通りにくくなっていたのではかと思います。

 

そんな事を教えて頂いたように思います。

 

必要以上のものは求めなければ、今の収入でも十分生活はしていける。毎日神様の御用をさせて頂けるのも本来なら大変有り難いことです。

それを忘れて、楽で好き勝手な暮らしを求めてしまっていました。

 

本当にお道の心を離してしまい、人間心を許してしまうと、こんなにも恐ろしいという事を、おさしづにお伺いさせて頂くことで気づかせて頂けたように思います。

  

 

不足でするか喜んでするか

教祖のお言葉に

人間は嫌なものを見ると、すぐに嫌やなあと思い、嫌な事を聞くと、すぐに嫌やなあと思う。その心がいかんのやで。その時の心の使い方が大切なのやで。嫌なものを見、嫌なものを見せられた時、嫌やなあと思う前に、ああ見えて良かった、目が不自由でのうてよかった、ありがたい結構やと思うて通らしてもらうのやで。嫌な事を聞いた時も同じ事、何時の日、何時の時でもそういう心で通りなはれや。その心遣いが自由(じゅうよう)の守護が頂ける道になるのやで。

(省略)

 

と、お聞かせ頂きます。

 

先日買い物に行った時のこと。


店のトイレをお借りしようとトイレに入ると…汚い話で申し訳ないのですが、小便器の中に噛んだガムが捨てられていました。

 

こういうものを見た時に大抵は「嫌だな」「汚いな」「誰がこんなことをしたんだ」と思ってしまうと思います。しかし、この心こそが、教祖が教えて下さるいけない心なのでしょう。

 

そのガムを見た瞬間、不足してしまいそうになったのですが、すぐに「不足してはいけない」と心を切り替え、これは神様がボクに見せて下さったものなのだと思い、上っ面ながらも喜んで拾わせて頂き、洗ってゴミ箱に捨てさせて頂きました。
(この時、そのまま捨ててしまいましたが、トイレットペーパーなどに包んでから捨てるべきであったと後悔しました。極力後々の人が困らないよう、配慮足りていませんでした。)

 

その時にふと思ったのが、もしもこれを嫌だなと思ったまま、見て見ぬふりをしていたらどうなっていたのか。

 

自分が不足をすれば不足した分だけ徳を減らし、ガムを捨てた人も人を不足させたことになり、余計な因縁を積んでしまいます。

 

また、自分が拾わなければ、ほぼ間違いなく従業員の方が拾うことになっていたでしょうし、お道を聞いている方でなければ、ほぼ間違いなく不足の心でやっていたと思われます。

他のお客さんがそれを見ればまた不足の心を使っていたかも知れません。

 

そうして考えると、上っ面ながらも捨てた人に感謝をして、喜んでさせて頂くことで、ガムを捨てた人は、人を喜ばせたことになり、他のお客さんや従業員の方も余計な不足をしないで済んだことになる。

 

それだけで些細ながらもお救けさせて頂けたことになる。

 

そう考えると、今まで嫌なものを見て嫌だなと思ってきたこと、嫌なことを聞いて嫌だなと思ってきたことがどれだけ勿体無い心遣いだったのか。

 

 

 

教祖伝逸話篇にて、教祖が監獄所へご苦労くだされた時、同じく拘禁された鴻田忠三郎先生は警察から便所掃除を命じられました。

掃除を終えて、教祖の御前にもどると 

「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」
と、教祖に尋ねられ、鴻田先生は

「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」

とお答えされました。

教祖は

「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」
と、お諭し下されたとお聞かせ頂きます。

 

 そう思うとボクは今までどれだけの不足を天に届けてしまっていたのか。

 本当に恐ろしくもあり、勿体なくもあります。

 

ボクは不足を探すのが得意技で、喜びを探すのが本当に下手くそなんです。

日常の生活や仕事などからも喜びを見つけ、人にも喜んで貰えるような心がけが大切だと、改めて思わせて頂きました。

 

夜中に突然の歯痛

何日か前、夜12時半。

 

寝ていたら何やら寝苦しい。

 

目が覚めてから寝苦しさの原因が分かりました。

何故かとてつもなく歯が痛い。

 

下顎の右側犬歯から奥歯にかけてズキズキ痛む。

虫歯とかそういう類の局部的な痛さではなく、歯茎なのか、歯なのか

 

 

ただただ痛い。

 

 

とりあえず痛み止めの薬飲んで寝直す事に

まだこの時点では頭が半寝半起きのボーッとしてた状態なんで、何故か知らないけど念の為歯を磨きに…(今思うとそういう問題じゃないw)

 

 

段々目が覚めてきて、尋常じゃない痛さに気がついた。

 

痛くて痛くてどうしようもなく

とりあえず部屋に戻り、ベッド横の座椅子に座り、ベッドに突っ伏して痛みを堪えていました。

 

 

これも親神様のご守護、この痛みを十分にたんのうさせて頂こう。

そう思い、暫く痛みに耐えながら突っ伏していた。

 

 

しかし、あまりにも痛みが尋常じゃないので、これはもしかしたら神様がボクに何かを教えようとして下さっているのかも知れない。

 

そう思ってパソコンからおさしづを開くも、とにかく痛くて読む余裕も無い。

 

 

 

3.4分経って多少痛みが和らいできたので、痛みにもがきながらも、ふと目に止まったおさしづを読ませて頂いた。

 

 

それがこちらのおさしづです。

 

 

明治二十四年六月二十一日
神道本局員来会事情に付願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情というは、今一時始め事情であろうまい。前前以て諭し、何も知らん/\行てこう、心という理がどうもならん。出て来ても思うようなろまい。たすけ一条/\と言うても幾重の理がある。救け救からん事情ある。救けたい救ける理が無い。扶け合い、救ける理が無い、救ける理が無いという。互い/\救け無いと前々より諭してある。どんな事情も諭してある。皆心という理を治め来る。救ける理の元を聞き分け。救ける元は何から出た。長らく事情これ事情から出た事情、ならんたすけ遁られん知りつゝ事情ある。迫られて事情、これは互い/\一つの理どうもならん。救からん事情救ける義理が無い。いつ/\残りゃせん。幾重の理を替え取りばかり、事情治まって治まるまい。どれだけしても治まらん。一つ治まれば二つ三つ。いつまで切りが無い。それ/\互い/\義務は十分の上の十分尽してある。辛い話もせにゃならん。どんな事も言わにゃならん。辛いならん事情を他に運ばにゃ、運べば幾重の中衰えの事情出来る。一人一戸の事情を以て、談示運ばにゃならん。

 

そして、父によるこのおさしづの解釈がこちら

 

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情というはこれまで何度も諭している事であって、今一時に始めて諭すような事情ではあろうまい。前々からさしづの理を以って諭して居るのであるが、分かっても分からんでも速やかに実践をしようという真実の心が定められないと言うのであり、真実の心が定まらないから神が連れて通す事が出来ないのであって、何も知らん/\という処であり、行てこう〈何も考えないで神のさしづ通りに治めようとしてこそ、難しい理もどんな事も治まる〉という理が分からないという処であって、人間心という理がどうもならんと言うのや。どんな事情が出て来ても真実の救けの理であるから満足たんのうをして受け取らなければ成らないのであり、成らん中のたんのうの理は世界に写す道の台と成るのであるから先々の結構な理が治まるのであって、信実誠の神の道であるなら、人間の思うようには成ろうまいと言うのや。


たすけ一条/\と言っても理の働きによって人を救けるのであり、それぞれの通る日々の道によって幾重の理の働きがあるのや。救けようとしても救からん事情もある。どれだけ救けたいと思っても通った道が無ければそれを人に写す事が出来ないのは当然であって、救けるだけの理が無いと言うのや。


己をかえりみずに道に尽くす理によってこれまでの残念の理が晴れるのであって、やがて心が澄まされて真実の理を心に治める事が出来るのであり、そうして実際の苦しみの道の中から心に治めた誠の理によって人を救けてこそ扶け合いというのであって、そのような道に尽くした理が無ければ救ける理が無いと言うのであり、救け人に免じて救けてやるだけの理が無いと言うて居るのや。


己を捨てて世界の為、道の為に尽くした事情が無ければ互い/\の救け合いの理が無いと前々より諭してある。どんな事情も皆諭してある。何もかも投げ出して道に尽くした誠の心が有ればこそ人の心に写るのであって、皆心という理を治め来るのやで。


救ける理の元というものを聞き分けて貰いたい。成らん中を救ける理の元は何から出たと思うか。この道の始めは寄り来る者が一人も無いような苦労艱難の道であったが、長らくの難儀不自由の道の事情に堪えて、これより他に世界救ける事情は無いと真実定めて通り抜けた年限の理〈教祖ひながた道〉から出た事情であって、成らん中を救ける理の元というは、一人先に立って苦労艱難の道を通り抜けるひながたの道より他に人を救ける理は無いと知りつゝ運んだ事情であると言うのや。


どれだけ諭しても神の話を聞き分けられず、たった一つのひながたの道を治められないからどうでも胸の掃除をしてやらなければ成らない日が来るのであって、迫られての事情に掛かる日が来るのであり、やがて来る怖い恐ろしい道によって身に沁みて知らさなければならないと言うて居るのであるが、これは互い/\に世界の為に尽くさなければならないという一つの理が治まらないからであって、どうもならんと言うのや。世界の為に尽くした理が無いような事であるからから、救からん事情の中を救けてやるだけの義理が無いと言うのや。世界の為に尽くした真実誠の理が無いからいつ/\末代までも続かないのであって、残念なものは残りゃせんと言うのや。幾重の理を諭しても人間の通り易いように理を替えてしまうのであって、取り損ないばかりをしていては何も治まらないのであり、真実誠の道の事情は治まって治まるまい。そんな事であるからどれだけ年限尽くしても治まらんのや。「そうであるなら心を改めさせて貰おう。もうこれからは神様一筋に治めさせて貰おう。」と一つの真実の心が治まれば、二つ三つと理が働くのや。いつまで諭してもそれが分からんのであって、切りが無いと言うのや。


それ/\が道に引き寄せられたいんねんによる処の、互い/\扶け合いの理を以って世界の為に尽くさなければならないという義務に応えて運んだ道〈一つの道〉は、十分の上の十分の理として受け取るのであって、末代の道の為にも十分に尽してあると言うのや。どうでもそれを知らしたいから辛い話もせにゃならんのであり、どんな言い難い事も言わにゃならんのや。辛い中の思うように成らん事情を運ばなければ人は救けられないのであり、多くの兄弟の為に自分が先に立って運ぶより他に天が受け取る誠の道は無いと心定めて運ばにゃ結構な理は治まらないのであって、運べば幾重の理が働いてその中を守り通すのであり、聞き分けが出来なければ先々の事情は治まらないのであって衰え〈おとろえ〉の事情が出来ると言うのや。先ず自分一人から、我が家一戸からという事情を以って始め掛ける誠の道であり、速やかに教え通りの道を通って真実の理を心に治めなければならないのであって、治めた真実の理を多くの者に写すべく、談示の理を運ばにゃならんと言うて居るのや。

 

 

 

 

 

分かっても分からんでも速やかに実践をしようという真実の心が定められないと言うのであり、真実の心が定まらないから神が連れて通す事が出来ないのであって…人間心という理がどうもならんと言うのや。

成ってくるのが天の理
この先どんな事が起ころうと、全て神様にお任せして、どんな事が起きてもたんのうの心で通らせて頂く。

理屈では分かっていました。
だからこそ、布教所住み込み時代は辛いからという理由で出たいと思った事など一度も無いし、どんな辛くても堪えてきました。

理屈としては分かっていたのですが…

9月に急病で入院して以来、未だ体調がすぐれないままで、働く事も出来ない状況。治療費もバカに出来ず、このままでどうすればいいのか。

体も一向に良くなる気配がない、このまま良くならなかったらどうしよう。

最近はそんな事ばかり考えていました。

 

 
どんな事情が出て来ても真実の救けの理であるから満足たんのうをして受け取らなければ成らないのであり、成らん中のたんのうの理は世界に写す道の台と成るのであるから先々の結構な理が治まるのであって

想像を絶する苦労の道を、世界だすけの為にお通り下さった教祖のひながたの道を教えて頂きながら


上っ面では「成ってくるのが天の理」だと思っていながら
現実では先案じしてしまっていたのです。

 


 己を捨てて世界の為、道の為に尽くした事情が無ければ互い/\の救け合いの理が無いと前々より諭してある。どんな事情も皆諭してある。何もかも投げ出して道に尽くした誠の心が有ればこそ人の心に写るのであって、皆心という理を治め来るのやで。

ボクは趣味が多く、普段からついつい自分の好きな事を優先してしまいます。

己を捨てて、今、お道の為にさせて頂ける事。

普段より神様の教えに触れ、神様の思いを求めて、おさしづに従って通らせて頂く努力を、毎日少しずつでもさせて頂く。

この、思うようにいかない状況の中でも心を倒さず、お道の御用をさせて頂いてこそ神様に受け取って頂けるのではないか、世界だすけの為に少しでもお役立て頂けるのではないかと思います。

 

 

このおさしづを読ませて頂き、自分を省みて、如何に自分が人間心に負けていたかを思い知らされました。

 

読み終わって頃には痛みはすっかり無くなっていました。

 

 

 

前生因縁のさんげ

先月の23日

 
急病で病院に運ばれました。
 
 
今まで入り込み者として長年お世話になっていた布教所から社会へと出た。
布教所の信者を辞めた訳では無く、住み込みを辞めたのです。
 
兄の知人からアルバイトの誘いを頂き、就活しながらのアルバイトが始まった訳だが、アルバイト4日目に朝からどことなく体調が悪く、まあ半日くらいなんとかなるだろうと判断。
 
しかし、段々具合は悪くなる
それでも後2時間くらいならどうにかなるだろう、後1時間程度ならと少々無理をしていた。
 
 
その無理が駄目でした。
 
 
 
どうにか仕事を終え、帰路につく頃にはもうフラフラ。家に付いたら昼も食べずに直ぐに床に入る。
 
そこから少しずつ意識も朦朧してきて、夜になって家族も帰って来たらしく、何やらボクの事で周りがザワザワし始め、気がついたら病院のベッドの上でした。
 
 
道中父親に背負われていた事や、車椅子に乗ってた事
周りで知らない人が騒いでいることとか…(今思うと医師と看護師の方々)
 
どうにか記憶に残ってるけど、ほとんど意識ない状態だった。
 
 
 
医者の診断は急性副腎不全。



救急で運ばれた時、延命治療になったらどうするかとまで聞かれたそうです。
本当に命が危なかった。
 
 
実はその数日前
父から「前生に教祖を恨んだ因縁が有る」と言われました。
 
 
 
世界救けの道の為の教祖のあるご決断が、前生のボクには不都合で、教祖を恨んで通ってしまっていた。
 
恨むには相応の理由があれど、世界救けの為の教祖の尊い決断が有ってこそ今の道が有るのであり、それを恨んでしまった因縁は何がなんでもお詫びしなければならない。
 
 
 
そう聞きました。
 
 
前生の因縁と言われましても、当然記憶など有りませんので、さっぱり分かりません。
 
しかし、何よりも神様を立てきっている
どんな事もおさしづに従って通っている父の言うことなので、きっとそうなのだろう。
 
 
心を落ち着けて想像してみました。
一体教祖にどれほど深く、尊い思いが有ってのご決断だったのか
それを恨んでしまった事がどれほど愚かだったのか
分からないながらもお詫びをさせて頂きました。
 
急病で倒れたのはその数日後の事でした。
 


そうして夜、病院に運ばれ、どうにか一命をとりとめた次の日の朝、父がふと目にしたのが以下のおさしづだったそうです
 
明治二十三年九月二十三日
小梶与兵衞三十六才身上願

さあ/\第一身上の事情尋ねる。長らえてどうも一時身上不足なりて一時という。大抵話の理も聞かしてある。身の処どういうものと思う。長らえて信心すれども、身の処どういうものと思う。思うは一つの理であろう。よう聞き分け。親が子供憎い親はあろうまい。救からんやならんが一つの理や。それに身上ならんというは、よう聞き分け。めん/\の身上程大事なものあろまい。大事の身上不足なるは、いんねん一つの理。いんねんの理いと言うて分かろまい。分からんからたんのう一つの理が第一。世上の理を見てたんのうと心定めるなら、前生一つのさんげとなる。よく聞き取りて諭してくれ。

 
 
 親が子供憎い親はあろうまい。救からんやならんが一つの理や。
 このお道では、苦しめよう困らせようとの神様では無いとお聞かせ頂きます。むしろ世界一列を救けたいばかりと思し召し下さる我々人間の親であると聞かせて頂きます。
しかし、人間には前生の因縁や、幾重にも積み重ねてきてしまった残念の理が有ります。
それを不問とする訳にはいかず、必ず果たさなければならないものとお教え下さいます。
 
いんねんの理いと言うて分かろまい。分からんからたんのう一つの理が第一。
前生因縁と言っても誰にも記憶など有りませんし、自分の力で因縁を果たす事など誰にも出来ません。
どんな事も成ってくるのが天の理とし、神様に凭れ、どれほど辛い事も満足たんのうの心で通らせて頂く事が前生因縁のさんげと聞かせて頂きます。
 
 
父から前生因縁の話を聞き、分からないながらもさせて頂いたお詫びを神様が受け取って下さったようです。
 
 
そうして身上の障りを頂き、それをたんのうの心で受け取らせて頂く事で、前生の因縁のさんげをさせて頂けるのです。
 
 
世上の理を見てたんのう
世間の方々はこれが親神様の有難いご守護だと知る事は出来ないでしょう。
 
また、天理教を信仰していても、もし自分がおさしづに触れる機会が無かったらどうなっていたか。
人間の理を立てて、どうすれば良くなるかと人に伺い、あの理この理と案じてばかり、余計に神様の思し召しから離れてしまっていたのでしょう。
 
残念の理も果たさず、神様のご守護をたんのうの心で受け取れず、たすかる事ばかり願っていては人として末永く生かされる為の最低条件さえ捨ててしまうと教えて頂きます。
 
 
おさしづに触れ、形だけながらも神様の思いを求める事の大切さを知る事が出来たお陰でそれが神様のご守護であると知る事が出来ました。
 
 
たんのうとは今の苦しみを十分に味わい、満足堪能させて頂く事だと教えて頂きます。
 
ボクがしっかりたんのうの心で受け取らせて頂く事が出来たかどうか
自分では分かりません。
 
自分では今の苦しみをよく味わい、これから先、良くなろうと悪くなろうと、この身を全て神様にお任せしてたんのうの心で受け取らせて頂いたつもりでは居ます。
 
もしかしたら心のどこかで喜べない心を使ってしまっていたかも知れません。
 
 
それでも、こうして身上の障りによって前生因縁のさんげをさせて頂けるという事、それを分からせて頂けた事は本当に有難い事なんだと実感させて頂きました。