去年の年末、突然倒れて救急車で運ばれ、年末から年を越して1月初旬頃まで入院しておりました。
本来であれば年末か正月あたりにでも遺体で発見されていたところ、不思議な出来事により、奇跡的に命をたすけていただきました。
その時の出来事を書かせていただきます。
まずは前提として私の住まいからお話をしますと、私は実家で暮らしております。
お恥ずかしい話、最近では実家の子供部屋で暮らすおじさんを「こどおじ」と言うらしく、嘲笑の対象とされやすいそうです。
…が、一応言い訳をさせていただきますと、24年間住み込みでいた布教所を出た後、正社員の仕事も見つかり、賃貸による一人暮らしを考えていた時期も有ったのですが、実家の神様のご用をさせていただく為にも、また、一人暮らしとなると、羽目を外しすぎて勝手な生活をしてしまい、お道を忘れ、神様を心から離してしまう(そうでなくとも普段から忘れがちですが)恐れも有るため、実家でお世話になり続けるという選択肢を選ぶこととなりました。
その時の心境についてはこちらで記事にしております。
まあ、そうでなくとも今回の出来事でやはり一人暮らしは出来ないと実感した次第であり、今も父と(母は出直しております)二人で、実家にて子供部屋で過ごしております。
それでは、本題に入りたいのですが、その前にもう一つ前置き。
私は身上を患っており、生きていく為には薬が手放せません。
副腎皮質ホルモンの一種のコルチゾールという成分があり、通常はそれが体内で分泌される訳ですが、私は自分の体ではその成分を分泌することが出来ません。
しかし、生きていく為にはそれは絶対に欠かすことは出来ず、命にも関わるものなので、私の場合は薬で補充しなければならず、コートリルという薬を、毎日1.5錠飲み続けなければなりません。
初めてこの薬を処方された時、検査結果を見た医師が驚いて「今までいつ死んでてもおかしくなかった」とまで言われました。
それほど重要な成分なのだそうです。
今まではI病院にかかっており、I病院の医師より、毎朝1.5錠(1錠と、半分に割った半錠)を飲むように指示を受けており、確かに指示された通りに飲んでおりました。
ところが今回救急でK病院に運ばれた訳ですが、K病院の先生の説明によりますと、このコルチゾールというものは、普通の人の場合、例えば発熱など体調を崩した時なども勿論、激痛を伴う大怪我や、歯医者で抜歯をしたなど、身体にストレスや異常がある時にはこのコルチゾールが普段の倍の量が必要とされ、分泌、消費されるそうなのです。
なので、私の場合は、当然自分で分泌が出来ないため、身体に異常が有るときは、普段の倍の量の薬を飲まなければならないそうなのです。
さらに言えば朝に1.5錠飲んでおりましたが、そもそも朝にそれだけ飲んでも、夜にはほぼ消費されてしまった状態になってしまうそうなので、朝に1錠、夜に半錠といった飲み方をした方が良いとも説明してくださいました。
しかし、今までは以前の先生の指示通り、体調に異常が有っても無くても、朝に1.5錠しか飲んでおりませんでした。
そこに今回の原因があったそうです。
それでは前置きが長くなってしまいましたが、今度こそ本題です。
昨年、4月に修養科を卒業し、パートなどを経て、9月に正社員の仕事が見つかり、試用期間として働いておりましたが、仕事が合わないこと、職場の人間関係など、諸々の事情によりストレスを抱え、体調にも変化が出たため、これ以上の継続は無理と判断し、退職の意向を固め、11月いっぱいをもって退職しました。
再び無職となり、12月では今から面接というのもなんだか中途半端な気がして、そのままズルズルと毎日を過ごしておりました。
そして27日の夜のこと。
その日の夜は大変寒く、毛布2枚掛け布団1枚かけていても寒く、暖房つけようか迷っていたのですが、働いてもいないくせに家の電気代使うのも申し訳なく思い、少し寒いくらいどうということはないだろうと、我慢して寝ておりました。
しかし、夜中に目が覚めると、鼻は詰まるし咳は出るし、ちょっと熱っぽい。どうやら風邪をひいてしまったらしい。
まあ明日病院に行けば2. 3日で治るだろう。くらいに思っておりました。
ところが朝起きる頃にはもうフラフラで意識も朦朧としている。
家の神様は、朝の掃除と献饌は私が、夕方の撤饌、掃除は父がやるように分担していたため、朝の掃除と献饌をしなければと、フラフラな状態でどうにかやっていた訳ですが、恐らく熱で頭も働いていなかったので、きちんと出来ていたかも分からない状態。(後日、父に聞いたところ、御神酒の蓋が取れていなかったそう。)
どうにか終わり、そんな頃にはとにかく辛くて布団に入りたい一心で、その時に薬を飲めばまだいくらか良かったのでしょうが、残念ながらそんな正常な判断力は既になく、そのまま寝てしまいました。
ここまでがどうにかギリギリ頭が働いていた頃の記憶。
そこから先は殆ど意識はなく(後から考えれば)現実に起きていたことが、夢でも見ているかのような状態。
そんな、夢だか現実だかも分からない朦朧とした状態のなかで、どうにか記憶に残っているのが以下の出来事です。
神様の献饌が終わったあと、2階の自室で寝ていたはずが、気が付けば何故か1階の居間にあるテーブルの前に座っていて、父親から「大丈夫?」「体調悪い?」と話しかけられました。
確かに部屋で寝ていたはずなのに、自分が1階に居るのはおかしい。なので、これは夢なんだろう。
そんなふうに思っていたら、気が付けば救急隊員らしき人が自分の周りに居て、何やらとても騒々しい。
そこからまた気が付けば病院らしきところで、白衣を着た人たちが慌ただしくしていて、腕には点滴の管やら何やらが色々と体に巻き付いている…
実は以前にも意識無いまま救急で病院に運ばれて生死を彷徨った経験が2度あり、数人の医師と看護師。医療機器などに囲まれていれば、いくら意識朦朧でも、過去の記憶から、流石に夢じゃないのが分かる。
それからはっきりと意識が戻った時は、病室のベッドの上でした。
そうなってくると不思議でならないのが、何故あの時自分は1階にいたのか。
確かに2階の部屋で寝ていたはず。そんな風に困惑したまま退院の日を迎え、当時の状況を父親に聞きました。父曰く
その日は偶々仕事が早く終わり、いつもよりずっと早い時間に帰宅したそうです。
そうして居間でくつろいでいたら、私が2階からのそのそと降りてきたかと思えば、無言でそのまま座って俯いたままピクリとも動かない。
様子がおかしいと思い、大丈夫かと聞いても返事がない。
これは明らかにおかしいということで慌てて救急車を呼んだとのことでした。
自分では2階の寝室から1階に降りた記憶も無ければ、降りようとした意思すらない。
それなのに1階に降りたということは、自分の意思とは関係なく、体が勝手に動いて1階まで降りていたようです。
今回、病院に運ばれるのがもう一歩遅かったら命は無いところでした。
普段は同じ家に住んでいても、丸一日、父親と顔を合わさない日だって珍しくもない。
そこから考えると、本来であれば誰にも気付かれないまま布団の中で息を引き取り、年末か正月あたりにでも、全く顔を出さない私の様子を見に来た父親に、遺体で発見されていたところでした。
それが、自分の意思とは関係なく体が独りでに動いて1階まで降りて、しかも父親がその日に限り、偶々仕事が早く終わって帰ってきていたのはまさに奇跡でした。
神様がたすけてくださった以外に考えられない出来事でした。
*余談*
本来であれば退院してから数日以内には、この記事を書いて更新しようとしていたのですが、なかなか上手く文章がまとまらず、PC画面とにらみ合い、ちょこっと書いてはすぐ止めての繰り返しで集中して書くことが出来ずに、ここまで日数が掛かってしまったうえに、何とも締まりのない文章になってしまいました。
心が怠けきっている証拠です。