今回のこの記事は、平成29年(2017年)に書き始め、完成させる事も出来ないまま、下書き保存だけしていたものです。
当時の状況と心境を思い出しながら、今回改めて完成させました。
2年ぶりの投稿となってしまいました。
前回の記事が2015年の11月だったので、2年前の記事を書いた時点から現在までの状況の変化を簡潔にまとめます
入院後の体調不良は直に良くなり、引き続き弁当屋でアルバイトをさせて頂きながら仕事探し。
その後、2月には地元の町工場で正社員として雇って頂く事が決まり、現在もそこで順調に働かせて頂いております。
繊維製造業で、出来上がった布生地の検反(検品作業)を主に任せて頂いてます。
給料は決して少なくは無いのですが、何せ働き始めたのが39歳
それまでは布教所の住み込みだったため、貯蓄はほぼゼロからのスタート。
持病の治療費なども有り、将来的な事を考えるとあまり胡座をかいてもいられない気はする。
贅沢するだけの金は要らないが、もう少し将来に余裕持てるだけの副収入が有った方が良いのか…
簡単な副業的な事もやっておいた方が良いのではないか
例えば別のブログでGoogleアドセンスをやるとか
簡単に説明すると
Googleアドセンスとは、Googleから用意された広告を、自分のブログやサイトに貼り付ける事で、成果に応じて収入を得られる事。
役立つ情報や、人様に楽しんで貰えるブログを書く事で収入を得られれば決して悪い話ではない気がする。
やるだけやってみて駄目だったらそれまでの話ではないか
そんな風に考えて居た時に、youtubeで、ある動画を目にしました。
内容は、少子高齢化など、 日本の未来への不安など。
ボクは(当時)42歳(現在44歳)なのですが、このまま高齢者となった時の生活は大丈夫なのか
そんな頃には働く若者も激減しているでしょう。年金なども頼りにしていても大丈夫なのか。
これはいよいよ副業やっておくべきではないかと、副業用のブログも作り、Googleアドセンスの申請準備も出来たところで、一旦おさしづにお伺いをしてみようと、おさしづを開いたところ、
年限経ったものなら何ぼう節が有っても歪んだものでもこたえる。(中略)言葉一つがようぼくの力なら、どうする事も、戻す事も出来ん。皆んなそれに凭れ/\て若木が育つ。世界に何ぼ育つとも分からん。そうしたら世界どんな事出来ても怖わい道は無い。これから急いて/\何処まで急くやら分からん。(中略)あちらの国からようぼく、こちらの国からもようぼく、高い山にも山の背腹にも谷底にもある、低い所から引き出すには引き出し難くい。高い所から引き出せば早い/\。高い所のようぼくはする/\と下りて来る。どんなようぼく寄せてどんな仕事するやら分からん。小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい、をしい、うらみ、そねみの心はやめてくれ。
このおさしづが有りました。
少子高齢化や、将来の年金などの不安から始めようとしていたことですが
世界どんな事出来ても怖わい道は無い。
それは神様を信じる事が出来ず、神様に凭れる事が出来ず、先案じという人間心からの考えでした。
どれだけ人間の知恵で上手いことをやろうとも、神様に受け取って頂くことが出来なければ何の意味も無いこと。
神様に凭れて、神様の思いに従って通らせて頂ければ、何も心配する必要がない。(それがなかなか出来ないのですが)そのように教えて頂いたように思います。
また
ほしい、をしい、うらみ、そねみの心はやめてくれ。
この時、上っ面では「将来的な事を考え…」「贅沢するだけの金は要らないが…」
このように思ってはいたのですが、ふと、自分の心によく目を当ててみると、それだけでは有りませんでした。
小さい頃から犬が好きで、大人になったら犬を飼うのが子供の頃の夢の一つでした。
現在は布教所の住み込みから出て以来、実家に住まわせて頂いているのですが、いつまでも実家の世話になっているのもどうかとの思いから、近々アパートで一人暮らしを始めようと思っていました。(病気などの理由から結婚はしないつもりでいる)
折角なら「ペット可」のアパートに引っ越して、犬を飼いたい。大型の水槽で熱帯魚も飼いたい。そんな風に思っていました。
月々の家賃に、新しい家具、家電、そして犬の養育費と水槽の維持費。時には美味しい物を食べたりもしたい。それだけの生活をする為には…
そんな心が根底に有りました。
もっと言えば、一人暮らしをしたい本当の理由も、実家住まいでは父も居て(母は出直しています。)多少は気を使う事も有るし、あまり好き勝手も出来ない。一人暮らしで自由に好き勝手が出来る生活がしたい。
午後3時から仕事なので、仕事に行く前に家の神様のお下げをさせて頂くのですが、アパートで一人暮らしならそれもしなくても済む。などといった、なんとも恥ずかしく、情けない心が有りました。
そんな、ほしい、をしいの心で通っていては、ただでさえお道の心が離れてしまっているのに、尚更お道が通りにくくなっていたのではかと思います。
そんな事を教えて頂いたように思います。
必要以上のものは求めなければ、今の収入でも十分生活はしていける。毎日神様の御用をさせて頂けるのも本来なら大変有り難いことです。
それを忘れて、楽で好き勝手な暮らしを求めてしまっていました。
本当にお道の心を離してしまい、人間心を許してしまうと、こんなにも恐ろしいという事を、おさしづにお伺いさせて頂くことで気づかせて頂けたように思います。