そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

苦しい時こそボーナスステージ

お道では「身上事情は道の花」と言われております。

 

世の中には、身上や事情によって辛いこと、苦しいことは沢山あると思います。

 

しかし、この神様は苦しめよう困らせようとの神様ではないと聞かせていただきます。

むしろ

 

にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる

 

救ける模様ばかりを思っている

救けることばかりを考えてくださっているとお聞かせいただきます。

 

では、なぜ辛いこと、苦しいことが有るのか。

 

親神様は今すぐにでも子供たちを楽にしてあげたい、幸せにしてあげたい。しかし、それでは通れない、真に救けることが出来ないから、一時的な苦しみを与えて下さるのであり、本当に辛いのは、何も知らない子供に苦労をさせなければならない親神様なんだと、父は教えてくれました。

 

にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ

(人間も子供可愛いであろうがな それを思って思案してくれ)

 

と、お聞かせいただきます。

親であれば、子供の苦しむ姿は自分が苦しむ以上に辛いもの。

それでも、真から救ける為に一時的にお与え下さる苦しみが「身上、事情」です。

 

 

 

この「身上、事情」の苦しみによって悪い因縁を払って下さる、また、自分の心得違いを教えてくださいます。

 

 

その苦しい、辛い時こそたんのうの心で受け取らせていただくことが本当にたすかる方法ではないかと思います。

 

おさしづに

ならん中たんのうするは、前生さんげ/\と言う。

 

不自由の処たんのうするはたんのう。徳を積むという。受け取るという。

 

いんねんという、いんねん一つの理は、たんのうより外に受け取る理は無い。よう聞き分け。しっかり一つたんのうの理を治めてくれ/\。

 

と、教えていただきます。

ならん中、不自由の中をたんのうするのは簡単なことではありませんが、その中をたんのうすることが、前生因縁のさんげ(懺悔)であり、徳を積むものであり、それ以外に受け取っていただく理は無いとまでお聞かせいただきます。

 

 

「たんのう」とはよく味わい、満足することだと父は教えてくれました。

世間一般で「堪能」というと「中華料理を堪能する」「温泉旅行を堪能する」などと使うと思います。

 

中華料理を少し食べて「あんまし好きじゃないんだよな。」と言って不満のまま終わったら「中華料理を堪能した」とは言いません。

 

美味しい中華料理をよく味わい、心ゆくまでしっかり食べて、味も量も十分に満足したなら、堪能したと言えます。

 

温泉に入って「ぬるいしお湯汚えし、最悪」と言って帰ったら「温泉旅行を堪能した」とは言えません。

 

良い湯にしっかり浸かって、しっかり楽しむことが出来たなら堪能したと言えるでしょう。

 

 

 

それと同じことだと思います。

 

天理教でたんのうと言えば、とにかく喜べばいいと勘違いされがち…と、言うより私は以前、そう勘違いしておりました。

 

しかし、辛いものを無理に喜べということではありません。

 

辛いものは辛い。苦しいものは苦しい。

でもその苦しみをしっかりと味わい、これも救けていただく為の神様のご守護だ。これで良いんだ。結構なんだと感謝して十分に満足すること。

 

時には不足してしまう時も有りましょうが、そこで不足したままで終わるか、思い改め「いや、これで良いんだ。結構だ。」と感謝して心の向きを変えるのかは、大きな違いだと思います。

 

 

 

その心を神様がお受け取りくださり、救けていただけるのだと教えていただいております。

 

 

 

私は24年間、とある布教所に住み込みで勤めておりました。

(余談にはなりますが、うちの教会では、住み込みで勤めることを「入り込み」「入り込み者」と呼称しておりますが、天理教一般ではその言葉は通じない。普通は「伏せ込み」と言うと、修養科中に他所の教会の信者さんより教えてもらいました。
同じ教会の方や、天理教信者以外の方が読まれた時にも通じるよう、このブログでは住み込みと呼称することにします。)

 

住み込み時代の所長は、先代の所長先生でした。

この所長先生と、その長女さんに大変苦しめられた経験が有ります。

 

元々は尊敬出来る先生でしたが、ある時を境に、やることなすことが酷くなっていきました。

 

かつては信仰の上で参考になることも沢山教えて下さいましたが、晩年はお道とは関係の無い愚痴、八つ当たり、小言ばかり。

 

 

布教師としてどうこうではない、お道の人としてどうこうではない。人としてそれはどうなの?といった悪行の数々。

 

 

あまり詳しく書くと悪口になってしまうため、これ以上は言えませんが、とにかく酷いものでした。

 

体裁は大好きなので外から来る信者さんにはいい顔をするため、たまに来る信者さんは所長先生を信じていましたが、内情を良く知る信者さんからは

「入り込み者の人達はよく耐えられるね。出ていきたいとは思わないの?」

と聞かれたものです。

 

 

朝勤めの時など、奥からお出ましになられると、廊下と所長の自室の間の扉が「キー」という、神殿からでもよく聞こえる音を立てるのですが、その音を聞いただけで嫌悪感から吐き気がしたのを今でもよく覚えています。

住み込みの者同士で顔を見合わせ「うわ…出てきた」などと小声でぼやいていました。

 

 

そんな風に不足をしながら過ごしていたある時に気がついたのです。

 

お道を聞かせていただいている以上、教祖ひながたの道を通らせていただかねばならない。もっと苦労をさせていただかねばならない。

理屈では分かってはいるが、自ら苦労をしようと思ってもなかなか出来ないし、具体的にどうすれば良いのか分からない。

そう考えていたところ、よく考えたら今の状況こそ苦労ではないのかということ。

今この状況こそ神様が我々にお与え下された苦労であり、この苦労を、たんのうの心で通らせていただけるだけで、どれだけ救けていただけるか分からない。

 

 

上級教会の初代会長様は

「難儀結構苦労が財産」

と教えてくださいました。

 

その財産を、放っておいたってあの二人がドンドン持ってきてくれる。

こんなのボーナスステージじゃないか。

 

 

こんな有り難いことは無い。

そう思ったら嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。

 

 

所長不在のある日、住み込みの男連中で、所長親子の悪行をこのままにしておいていいのか、といった話をしていたところ

「俺はこの状況を喜んでいるよ。」

 

と言ったら

「藤太郎君Mなんじゃない?」

と、冗談半分で言われてしまいました。

 

Mではありませんよ。

喜んでいるとは言っても、辛いというのもまた本心です。

 

しかし、折角神様からお与え頂いたこのボーナスステージ。

たんのうの心で通らせていただかなければ勿体ない。

 

 

神様は本当は所長のような間違った道を歩むものを、今すぐにでも出直させて、やり直させてあげたい。

それでもより多くの者を救ける為に、心を砕いて一時的に置いてくださっているのだと父は教えてくれました。

 

kokoroetigai.hatenablog.com

 

で、あればこそ、尚更不足して通っていては勿体ないし、申し訳ない。

 

 

「身上・事情は道の花」

お道の人にとって苦しい時こそボーナスステージです。

この辛く苦しいボーナスステージで、常に心に神様を置いて、如何に心を倒さずに通れるかが重要かと思います。

 

 

修養科では、同期は男しか居なかったので、詰所では女子主任代理の役目を頂きました。

先輩の女子主任がもう4日後には修養科を終えて教会に帰るという状況。

女子主任が勤める日々の御用が有るのですが、先輩女子主任が半月で覚えたことを、四日で覚えなければならないと言われた時は絶望でした。

 

しかも、女子主任の御用だけでなく、会長室の掃除も覚えなければならない。

人間ってこんな短期間にこんなにも沢山のことを覚えらえるのか?と本気で頭を抱えていました。

 

先輩が急遽専用のマニュアルを作って下さったため、それを抱えて、学校や詰所の自由時間など、常に開いては頭に入れようと必死でした。

(あのマニュアルがなければどうにも出来なかったのだが、急遽作って下さったと後になって知ったため、そのお礼を言えてないのが無念。)

 

 

考えること、覚えることが多すぎて、更には朝が早いため寝不足も重なって、頭がボーッとして軽い頭痛と軽い目眩のようになっていたことが数日有りました。

 

 

私は目立ちたがり屋な性分なので、同期の男たちに「無理だ」「覚えられねえ」と声を大にしてぼやいていました。

今思うと鬱陶しかっただろうなと思います。(同期の皆、申し訳ない)

 

私がぼやいてばかり居るので、同期の男たちには私が不足しているように見えたでしょう。

 

しかし、実を言うと嬉しかったというのが本心です。

折角教祖の膝下で三ヶ月過ごさせていただくので、苦労がしたい。教祖ひながたの真似事だけでもさせていただきたいと思って修養科へと望みました。

本来入るべき詰所がコロナで入所不可となった為、仮受け入れ先の詰所で約二週間過ごしていましたが、本来の詰所に比べて自由時間も多く、割とのんびりと過ごすことが出来ていて、言い方は悪いですが、拍子抜けというのが本心でしたので、いよいよ大変な時が来たと喜んでいました。

 

毎晩寝る前に結構な苦労をお与え下さったことにお礼を申し上げておりました。

 

 

 

修養科が終わり、就職活動が始まり、ある会社で採用していただけることになり、そこで働いておりましたが、そこでは仕事も合わないことや、人間関係などからストレスを抱えてしまい、体調にまで変化が有ったために、数ヶ月で辞めてしまいました。

 

 

修養科を終え、自由な時間が増えて心が緩んでしまったのでしょう。

自ら苦労を求める心はどこかへ行ってしまっていたようです。

 

ちょっと油断して心から神様を離してしまうと、もうこのザマです。

 

 

 

 

どんな時も神様を心から離さず、艱難苦労を自ら求める心で通れる努力を、忘れないようにしたいものです。