そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

たんのう

このブログ出てくる天理教用語が全く分からない方の為に、自分なりに用語の説明を書いておきました。
飽くまで参考程度に見てください。




『たんのう』

常に己が心を省みて、いかなることも親神の思わくと悟り、心を倒さずに喜び勇んで明るくくらすのが、道の子の歩みである。この心の治め方をたんのうと教えられる。 (天理教教典より)

親神様は人間を真から救けるために、一時的な苦労を与えて下さいます。その苦労に対してたんのうの心を使わせて頂く事が肝心だと教えて頂きます。

たんのうとは辞書で調べると「満足すること」とあります。どんなことが起きても全ては親神様の思惑と悟り、満足たんのうの心で受け取る事が大切であり、また、辛い事や苦しい事も十分に味わい満足する心と教えて頂きます。




世には、病苦にさいなまれ、災厄におそわれ、家庭の不和をかこち、逆境にもだえるなど、その身の不幸をなげいている人が多い。それは、親神を知らず、その深い親心を知らないからである。 (天理教教典より)

     

人は何事も無く通れる事が何よりのご守護と思いがちで、身上や事情にお手入れを頂くとお救け頂きたいと願います。しかし、おさしづではこのように教えて下さいます。

身上不足ありてどうもたんのうは出け難くい/\。為すいんねん多いか少ないか、皆めん/\内々にある。今日もよい/\と言えば、たんのう出ける。悪い中にたんのう治められん。道理と言う。成らん中たんのう、治められん処から治めるは、真実誠と言う。前生いんねんのさんげとも言う。
(明治三十年七月十四日) 


                    

不自由の処たんのうするはたんのう、徳をつむという、うけとるという、これ一つきゝわけにゃならん 
(明治二十八年三月六日)


身上、事情の悪いところを喜んで通る事は簡単に出来ることではありませんが、その中を何事も親神様の思惑と悟り、たんのうする事が誠真実であり、前生因縁のさんげとなります。また、それが徳積みになると教えて頂きます。神様にお喜び頂く理が、徳に代わるとのお教えから考えますと、たんのうの心は神様がお喜び下さる心であると思わせて頂きます。

たんのうの反対の心が不足であると思わせて頂きます。

不足思えば皆不足になるで。
(明治二十三年五月十三日)


とのお言葉通り、成ってくる事に対して不足の心では、返ってくるのも不足になってしまいます。



「成つて来るのが天の理」と仰せ下さいます。

どんな身上、事情の悩みも、すべて親神様がその人の心の成人を促すための、思し召しであり、深い親心です。成ってきた事全て受け取り、神様にもたれて通らせて頂く心を神様は喜んで下さり、誠真実であり、それが前生因縁のさんげとなります。