そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

これから創まる世界中の胸の掃除

久しぶりのブログ更新となってしまいました。

今回の記事は、1月頃から書き始め、2月初頭くらいには公開できたはずのものですが、思うようにまとめられず、苦心しているうちにやる気を失い、お道の勉強もサボりはじめてしまい、最近になってようやく再開して、どうにか今更になって完成させたものです。

 

 

 

 

今年は年が明けて元旦より、地震に、羽田空港の事故に、各地で起きた火災のニュース…

まるで1年分のニュースが一ヶ月に凝縮されたかのような、物騒な年明けとなりました。

 

今更ではありますが、令和6年能登半島地震において、被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

以前に、コロナ禍が騒がれ始めた頃、父が「こんなのはこれから始まる神様の大掃除の、まだそよ風のようなものだ」と言っていたことを思い出されます。

 

世界救けこそがこの信仰の本当の目的です。

我々道の者は、この大掃除の中、どのような心で通らせていただくべきか、今一度考える時かも知れません。

 

 

 

明治二十三年十一月二十一日(陰暦十月十日)午後八時半
刻限御話
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さあ/\やれ/\/\、まあ/\/\、長い事でまあ/\長い事や。長い事にはまあいつ/\とてもいつまでと言うた処がどんならん。出てさしづ又出て聞かし、又又さしづ通りの道やなければ通れん。変わらん/\、同んなじ心に同じ諭、いついつまで長いようでもそれ一つの事情、どんな事情とも計り難ない。そこで出て聞かし置かねばならん。何をしたのやと、騒ぎ立てるような事ではどんならん。聞かした処が分からん。三才児に十分のものをやったようなものや。三才児は沢山あっても、あゝと言うて楽しむ。後は何にもならん。まあおっとり四年五年の日が移る。まあ、貴方々々と世界から言う。何処にどういう印がある。印を以て目途、一代は一代の理、二代は二代の理、何時どういう事があるとも分からん。どんな事あるともこれは一つの理のように楽しむ。短い長いと言えば長い。人間というものは、その場と言えばその場治まる。義理やと言うて、さしづより外に一つの道も無い。どれだけどうといえどもどんならん。道が直して了えばろっくと言う。道を直して心の道さえ治めば同んなじ事。悪い道は通りよい、いっち大きい。これも聞いて置け。これまでの道、楽しみの理はそこい/\渡し、これからは未だ/\楽しみの理も渡さんならん。運ぶ道はだん/\運び、もうこれでよいと思えば運び掛ける。未だ未だあたゑ積んであるなれば、めん/\の心で掴むに掴まれん。これだけ諭し置くから、後々は又々談示をしてくれるよう。
―――――――――――――――――――――――――――――

 

さあ/\やれ/\/\、まあ/\/\、長い事でまあ/\長い事や。

 

(さあ/\やれ/\/\、まあ/\/\、これから創まる世界中の胸の掃除の道は長い事では無いが、素直に神の話を聞き分ける事が出来ない者にとっては、まあ/\の長い事に成るのやで。)

 

長い事にはまあいつ/\とてもいつまでと言うた処がどんならん。

 

(何事も神の思惑どおりに運ぼうとする澄み切った精神さえ定まって居れば、心どおりに神が働いて何事も速やかに治めてやれるから長い事には成らないのであって、まあいつ/\とても変わらぬ一つの心を以ていつまでも続く道なら安心やと言うた処が、素直に神の話を聞き分ける事が出来なければどうしてやる事も出来ないから、とんとどんならんのや。)

 

出てさしづ又出て聞かし、又又さしづ通りの道やなければ通れん。

 

(そうは成らないようと、事前に神が出てさしづをし、又出て聞かし、又又聞かすさしづ通りの道やなければ、誰も皆通るに通れんのやで。)

 

変わらん/\、同んなじ心に同じ諭、いついつまで長いようでもそれ一つの事情、どんな事情とも計り難ない。

 

(何時何時までも変わらん/\一つの話であって、同んなじ心に同じ諭、いついつまでも続く長い道のようでも、それだけの理を出来るだけ無理無く治めさそうとする一つの事情であるから、その中を満足たんのう治めて運ぶなら、どんな結構な先々の事情が治まるとも分からんが、素直に聞き分ける事が出来なければ、どうする事も出来ないような計り難ない事に成るのやで。)

 

そこで出て聞かし置かねばならん。

 

(そこで、事前に神が出て聞かし置かねばならんのや。)

 

何をしたのやと、騒ぎ立てるような事ではどんならん。

 

(そのような神の話を速やかに聞き分ける事が出来ず、事情が行き詰ってしまってから、一体全体私が何をしたのやと、騒ぎ立てるような事ではどんならんで。)

 

聞かした処が分からん。

 

(何事も速やかに神に従おうとする誠が定まらなければ、速やかに神が働いて結構な先々の理を治めてやる事が出来んと、なんぼ聞かした処が分からんのや。)

 

三才児に十分のものをやったようなものや。

 

(喜んで神の思惑に沿う事の出来ない者に結構な守護を与えるという事は、未だ自分の力で判断の出来ないような三才児に、十分のものをやったようなものや。)

 

三才児は沢山あっても、あゝと言うて楽しむ。

 

(三才児というものは、結構なものが沢山あっても真実の心を出して感謝する事は出来ず、あゝと言うて、当然のようにして楽しむ事しか出来んであろう。)

 

後は何にもならん。

 

(結構な事や有難い事やと、満足たんのう治めて神を喜ばす事が出来なければ、蒔いた種は切れるばかりで、後は何にもならんのや。)

 

まあおっとり四年五年の日が移る。

 

(まあどのような事もおっとりと受け取って、折角苦労をして蒔いた種を食いつぶしながら、四年五年の日が移るという事に成ってしまうのや。)

 

まあ、貴方々々と世界から言う。

 

(まあ大きな事は出来なくても、どのような事も救けたいばかりの真実誠の神の守護だと受け取って満足たんのう治める事が出来るなら、心どおりの結構な道に成るよう神が十分に働いてやれるから、貴方々々と世界から言うように成るのやで。)

 

何処にどういう印がある。

 

(心一つによってそれぞれの道に違いが有るという事は分かっても、それを計り知る為には、何処にどういう印が有ると思うか。)

 

印を以て目途、一代は一代の理、二代は二代の理、何時どういう事があるとも分からん。

 

(先々へ行けば必ずこれだけの心が治まるという理を神が見定める事によって、それぞれの本質や性根を表す印の理が定まり、定まった印を以てそれぞれの道の目途が定まり、それによって一代は一代の理を治め、二代は二代の理を治める事に成るが、道の為世界の為に尽くす誠の道ならそれにふさわしい真実誠の種を蒔かなければならないから、何時どういう事があるとも分からんと言うのであり、容易に堪えられない長い苦しみの道を通るという事が、道の為世界の為に尽くす誠の道という印に成るのやで。)

 

どんな事あるともこれは一つの理のように楽しむ。

 

(どんな事があるとも真実誠の神の働きだと心得て、不足の心は出さず、これは無くてはならない結構な一つの理のようにして楽しむのやで。)

 

短い長いと言えば長い。

 

(そうして尽くす道は、短いか長いかと言えば心次第であって、どのような中も満足たんのう治めて運ぶなら時を忘れてしまうような楽しみの理が治まり、何時何時迄も続く長い楽しみの道が治まるのやで。)

 

人間というものは、その場と言えばその場治まる。

 

(人間というものは、はっきりと目に見える事は速やかに聞き分けられるから、その場だけだと言えば、その場は治まるであろう。)

 

義理やと言うて、さしづより外に一つの道も無い。

 

(又、義理が無ければこの世は暗闇やと言うても、現実には全てを神が支配をする神の世界やから、神のさしづより外に治まるような理は一つも無く、一つの道も無いのやで。)

 

どれだけどうといえどもどんならん。

 

(人間の知恵や知識を以てどれだけどうといえども、それを受け取って働く神の力が無ければどんならんと言うのや。)

 

道が直して了えばろっくと言う。

 

(人間の知恵や知識を以てすれば道が間違うと気付き、濁り切った人間支配の道を止めて神の思惑どおりに改めようとして、高低の無い一列平等の世界に直して了えば、何処にも落ちる事の無い安心安全なろっくの道と言うのやで。)

 

道を直して心の道さえ治めば同んなじ事。

 

(勝手な人間の道を神の思惑どおりの道に直して、人間は皆かりものであって心一つが我がものであるから、神様が勇み出て下さるような澄み切った心を持ち運ばなければならないという、心の道さえ治めて了えば、自由自在の神の懐住まいをするのも同んなじ事やで。)

 

悪い道は通りよい、いっち大きい。

 

(何事も人間の思惑どおりに運ぼうとする悪い道は通りよいが、それによって積み上げる悪因縁は、いっち大きいのやで。)

 

これも聞いて置け。

 

(又これもよう聞いて置け。)

 

これまでの道、楽しみの理はそこい/\渡し、これからは未だ/\楽しみの理も渡さんならん。

 

(これまでの道の中で、誠一つを受け取って与えて来た先々の楽しみの理というものは、心の底から神を慕って付いて来る底意/\の理に渡して来たが、これから先は一列救けの道に変わるから、未だ/\多くの者に楽しみの理も渡さんならんのや。)

 

運ぶ道はだん/\運び、もうこれでよいと思えば運び掛ける。

 

(速やかに神の話を聞き分けて、運ぶべき道はだん/\運び、もうこれでよいと思えば、又新たな救け道を運び掛ける事に成るのやで。)

 

未だ未だあたゑ積んであるなれば、めん/\の心で掴むに掴まれん。

 

(未だ未だ成人なかばだと心得て、神が与える天然自然の道に満足たんのう尽くす誠の理が積んであるなれば、思ってもみないような結構な先々の理が治まるが、めん/\の心で道を選んで運ぼうとするなら、結構な先々の理は掴むにも掴まれんのやで。)

 

これだけ諭し置くから、後々は又々談示をしてくれるよう。

 

(これだけの事を諭し置くからしっかり聞き分けて貰いたいと言うのであって、後々は皆々の心が一つに治まるようと、又々神に尋ねながら談示をしてくれるよう。)

 

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これから創まる世界中の胸の掃除の道は長い事では無いが、素直に神の話を聞き分ける事が出来ない者にとっては、まあ/\の長い事に成るのやで。

 

何事も神の思惑どおりに運ぼうとする澄み切った精神さえ定まって居れば、心どおりに神が働いて何事も速やかに治めてやれるから長い事には成らないのであって

 

素直に神の話を聞き分ける事が出来なければどうしてやる事も出来ないから、とんとどんならんのや。

 

 

この世をお始めくだされた時、神様は、人間は心一つが我の理とお定めくださいました。心だけは自分の自由に使って良いのです。

 

逆に言えば、神様も人間の心だけはコントロールすることが出来ません。

正しい道を通らせてあげたいと思っても、人間の方が神様の思惑通りに運ぼうとせず、自分の都合を第一に、我が身の幸せばかりを願ってしまっていては神様にお働きいただけません。

 

我が身の都合を捨てて、例え出来ても出来なくても、神様の思惑通りに運ばせていただきたいと願った時、初めて神様にお働きいただけるのです。

 

そうした澄み切った精神さえ定まれば、神様がお働きくださり、速やかに治まるとお聞かせいただきます。

 

 

 

先々へ行けば必ずこれだけの心が治まるという理を神が見定める事によって、それぞれの本質や性根を表す印の理が定まり、定まった印を以てそれぞれの道の目途が定まり、それによって一代は一代の理を治め、二代は二代の理を治める事に成るが、道の為世界の為に尽くす誠の道ならそれにふさわしい真実誠の種を蒔かなければならないから、何時どういう事があるとも分からんと言うのであり、容易に堪えられない長い苦しみの道を通るという事が、道の為世界の為に尽くす誠の道という印に成るのやで。

 

 

今はその精神が治められなくても、先々にはその心が治まる時がくるという理を神様が見定めくださり、その人その人に合わせた道をお定めくださいますが、道の為、世界の為に尽くす誠の道にふさわしい真実誠の種を蒔かなければならず、その為にどのような苦労の道も通らせていただかねばなりません。

 

 

 

どんな事があるとも真実誠の神の働きだと心得て、不足の心は出さず、これは無くてはならない結構な一つの理のようにして楽しむのやで。

 

どのような中も満足たんのう治めて運ぶなら時を忘れてしまうような楽しみの理が治まり、何時何時迄も続く長い楽しみの道が治まるのやで。

 

 

そうした苦労の道の中を、これも神様のご守護と、満足たんのうを治めて運ばせていただけば、何時までも続く楽しみの道が治まり、それができなければ、長い苦労の道が続くのだと教えていただいているように思います。

 

 

 

 

 

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