そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

夜中に突然の歯痛

何日か前、夜12時半。

 

寝ていたら何やら寝苦しい。

 

目が覚めてから寝苦しさの原因が分かりました。

何故かとてつもなく歯が痛い。

 

下顎の右側犬歯から奥歯にかけてズキズキ痛む。

虫歯とかそういう類の局部的な痛さではなく、歯茎なのか、歯なのか

 

 

ただただ痛い。

 

 

とりあえず痛み止めの薬飲んで寝直す事に

まだこの時点では頭が半寝半起きのボーッとしてた状態なんで、何故か知らないけど念の為歯を磨きに…(今思うとそういう問題じゃないw)

 

 

段々目が覚めてきて、尋常じゃない痛さに気がついた。

 

痛くて痛くてどうしようもなく

とりあえず部屋に戻り、ベッド横の座椅子に座り、ベッドに突っ伏して痛みを堪えていました。

 

 

これも親神様のご守護、この痛みを十分にたんのうさせて頂こう。

そう思い、暫く痛みに耐えながら突っ伏していた。

 

 

しかし、あまりにも痛みが尋常じゃないので、これはもしかしたら神様がボクに何かを教えようとして下さっているのかも知れない。

 

そう思ってパソコンからおさしづを開くも、とにかく痛くて読む余裕も無い。

 

 

 

3.4分経って多少痛みが和らいできたので、痛みにもがきながらも、ふと目に止まったおさしづを読ませて頂いた。

 

 

それがこちらのおさしづです。

 

 

明治二十四年六月二十一日
神道本局員来会事情に付願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情というは、今一時始め事情であろうまい。前前以て諭し、何も知らん/\行てこう、心という理がどうもならん。出て来ても思うようなろまい。たすけ一条/\と言うても幾重の理がある。救け救からん事情ある。救けたい救ける理が無い。扶け合い、救ける理が無い、救ける理が無いという。互い/\救け無いと前々より諭してある。どんな事情も諭してある。皆心という理を治め来る。救ける理の元を聞き分け。救ける元は何から出た。長らく事情これ事情から出た事情、ならんたすけ遁られん知りつゝ事情ある。迫られて事情、これは互い/\一つの理どうもならん。救からん事情救ける義理が無い。いつ/\残りゃせん。幾重の理を替え取りばかり、事情治まって治まるまい。どれだけしても治まらん。一つ治まれば二つ三つ。いつまで切りが無い。それ/\互い/\義務は十分の上の十分尽してある。辛い話もせにゃならん。どんな事も言わにゃならん。辛いならん事情を他に運ばにゃ、運べば幾重の中衰えの事情出来る。一人一戸の事情を以て、談示運ばにゃならん。

 

そして、父によるこのおさしづの解釈がこちら

 

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情というはこれまで何度も諭している事であって、今一時に始めて諭すような事情ではあろうまい。前々からさしづの理を以って諭して居るのであるが、分かっても分からんでも速やかに実践をしようという真実の心が定められないと言うのであり、真実の心が定まらないから神が連れて通す事が出来ないのであって、何も知らん/\という処であり、行てこう〈何も考えないで神のさしづ通りに治めようとしてこそ、難しい理もどんな事も治まる〉という理が分からないという処であって、人間心という理がどうもならんと言うのや。どんな事情が出て来ても真実の救けの理であるから満足たんのうをして受け取らなければ成らないのであり、成らん中のたんのうの理は世界に写す道の台と成るのであるから先々の結構な理が治まるのであって、信実誠の神の道であるなら、人間の思うようには成ろうまいと言うのや。


たすけ一条/\と言っても理の働きによって人を救けるのであり、それぞれの通る日々の道によって幾重の理の働きがあるのや。救けようとしても救からん事情もある。どれだけ救けたいと思っても通った道が無ければそれを人に写す事が出来ないのは当然であって、救けるだけの理が無いと言うのや。


己をかえりみずに道に尽くす理によってこれまでの残念の理が晴れるのであって、やがて心が澄まされて真実の理を心に治める事が出来るのであり、そうして実際の苦しみの道の中から心に治めた誠の理によって人を救けてこそ扶け合いというのであって、そのような道に尽くした理が無ければ救ける理が無いと言うのであり、救け人に免じて救けてやるだけの理が無いと言うて居るのや。


己を捨てて世界の為、道の為に尽くした事情が無ければ互い/\の救け合いの理が無いと前々より諭してある。どんな事情も皆諭してある。何もかも投げ出して道に尽くした誠の心が有ればこそ人の心に写るのであって、皆心という理を治め来るのやで。


救ける理の元というものを聞き分けて貰いたい。成らん中を救ける理の元は何から出たと思うか。この道の始めは寄り来る者が一人も無いような苦労艱難の道であったが、長らくの難儀不自由の道の事情に堪えて、これより他に世界救ける事情は無いと真実定めて通り抜けた年限の理〈教祖ひながた道〉から出た事情であって、成らん中を救ける理の元というは、一人先に立って苦労艱難の道を通り抜けるひながたの道より他に人を救ける理は無いと知りつゝ運んだ事情であると言うのや。


どれだけ諭しても神の話を聞き分けられず、たった一つのひながたの道を治められないからどうでも胸の掃除をしてやらなければ成らない日が来るのであって、迫られての事情に掛かる日が来るのであり、やがて来る怖い恐ろしい道によって身に沁みて知らさなければならないと言うて居るのであるが、これは互い/\に世界の為に尽くさなければならないという一つの理が治まらないからであって、どうもならんと言うのや。世界の為に尽くした理が無いような事であるからから、救からん事情の中を救けてやるだけの義理が無いと言うのや。世界の為に尽くした真実誠の理が無いからいつ/\末代までも続かないのであって、残念なものは残りゃせんと言うのや。幾重の理を諭しても人間の通り易いように理を替えてしまうのであって、取り損ないばかりをしていては何も治まらないのであり、真実誠の道の事情は治まって治まるまい。そんな事であるからどれだけ年限尽くしても治まらんのや。「そうであるなら心を改めさせて貰おう。もうこれからは神様一筋に治めさせて貰おう。」と一つの真実の心が治まれば、二つ三つと理が働くのや。いつまで諭してもそれが分からんのであって、切りが無いと言うのや。


それ/\が道に引き寄せられたいんねんによる処の、互い/\扶け合いの理を以って世界の為に尽くさなければならないという義務に応えて運んだ道〈一つの道〉は、十分の上の十分の理として受け取るのであって、末代の道の為にも十分に尽してあると言うのや。どうでもそれを知らしたいから辛い話もせにゃならんのであり、どんな言い難い事も言わにゃならんのや。辛い中の思うように成らん事情を運ばなければ人は救けられないのであり、多くの兄弟の為に自分が先に立って運ぶより他に天が受け取る誠の道は無いと心定めて運ばにゃ結構な理は治まらないのであって、運べば幾重の理が働いてその中を守り通すのであり、聞き分けが出来なければ先々の事情は治まらないのであって衰え〈おとろえ〉の事情が出来ると言うのや。先ず自分一人から、我が家一戸からという事情を以って始め掛ける誠の道であり、速やかに教え通りの道を通って真実の理を心に治めなければならないのであって、治めた真実の理を多くの者に写すべく、談示の理を運ばにゃならんと言うて居るのや。

 

 

 

 

 

分かっても分からんでも速やかに実践をしようという真実の心が定められないと言うのであり、真実の心が定まらないから神が連れて通す事が出来ないのであって…人間心という理がどうもならんと言うのや。

成ってくるのが天の理
この先どんな事が起ころうと、全て神様にお任せして、どんな事が起きてもたんのうの心で通らせて頂く。

理屈では分かっていました。
だからこそ、布教所住み込み時代は辛いからという理由で出たいと思った事など一度も無いし、どんな辛くても堪えてきました。

理屈としては分かっていたのですが…

9月に急病で入院して以来、未だ体調がすぐれないままで、働く事も出来ない状況。治療費もバカに出来ず、このままでどうすればいいのか。

体も一向に良くなる気配がない、このまま良くならなかったらどうしよう。

最近はそんな事ばかり考えていました。

 

 
どんな事情が出て来ても真実の救けの理であるから満足たんのうをして受け取らなければ成らないのであり、成らん中のたんのうの理は世界に写す道の台と成るのであるから先々の結構な理が治まるのであって

想像を絶する苦労の道を、世界だすけの為にお通り下さった教祖のひながたの道を教えて頂きながら


上っ面では「成ってくるのが天の理」だと思っていながら
現実では先案じしてしまっていたのです。

 


 己を捨てて世界の為、道の為に尽くした事情が無ければ互い/\の救け合いの理が無いと前々より諭してある。どんな事情も皆諭してある。何もかも投げ出して道に尽くした誠の心が有ればこそ人の心に写るのであって、皆心という理を治め来るのやで。

ボクは趣味が多く、普段からついつい自分の好きな事を優先してしまいます。

己を捨てて、今、お道の為にさせて頂ける事。

普段より神様の教えに触れ、神様の思いを求めて、おさしづに従って通らせて頂く努力を、毎日少しずつでもさせて頂く。

この、思うようにいかない状況の中でも心を倒さず、お道の御用をさせて頂いてこそ神様に受け取って頂けるのではないか、世界だすけの為に少しでもお役立て頂けるのではないかと思います。

 

 

このおさしづを読ませて頂き、自分を省みて、如何に自分が人間心に負けていたかを思い知らされました。

 

読み終わって頃には痛みはすっかり無くなっていました。