そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

天理教被害に苦しめられている方々に読んで頂きたい

以前、「天理教被害」という記事を書きました
それについて沢山のコメントを頂き、被害に苦しむ方々が今も時々コメントを寄せて下さいます。
どなたも今の現状に不満を抱き、なんとかしようとの思いを持っておられるようです。

しかし、成ってくるのが天の理です
おさしづから思案させて頂くと何よりも「たんのう」の心が第一だと思います
多くお寄せ頂いたコメントに対するボクの返事を記事としてここにまとめました

皆さんに読んで頂きたく願っております。

こちらもお読み下さい

(多少文章の変更もあります)
(この記事は現在未完成です)

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おやさまの御教えに背く教会長に対し、信仰心を 親神様、教祖へ向ける教会長だけが 教会長の資格があるとのコメントへの返事 その1  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

「所属教会で幸不幸が決まる。」
確かにそうかも知れません。しかし、何故そんな教会長の元へ行く事になったのでしょうか。それは、人が決めたのではなく、全て神様が決めて下さった事だと思います。
自分も両親は岐阜の生まれなのに、ちょっとしたきっかけで愛知県に引っ越して、現在の布教所に来ています。
神様が引き寄せて下さったとしか思えません。

その人の因縁に合った教会。

失礼な言い方かも知れませんが、それは悪い事ではなく、素晴らしい事ではないでしょうか。
人間はつい目先の幸せばかり考えてしまいがちですが、今の幸せに何の意味も有りません。

「にち/\にをやのしやんというものは たすけるもようばかりおもてる」
(日々に親の思案と言うものは、たすけるもようばかり思うてる)

神様は人間を真から救けたいと思し召し下さると教えて頂きます。
人間にはご存知の通り、前生からの因縁があります。その因縁を切るために通り返しの道を通らせて頂かねばなりません。
「ああして通らせて頂こう、こうもさせて頂こう」
それも結構ですが、所詮は人間が考えた事。そうでは無く、全て神様に凭れ、全てを神様にお任せして、自分は成ってきた事をたんのうの心で受け取らせて頂く事が大切では無いかと思います。
下のコメントにも書きましたが、一番辛いのは、何も知らない子供に苦労させなければならない神様だと、父が教えてくれました。
本来なら、今すぐ子供を幸せにしたい。しかし、それでは通れないほど人間には魂の徳が無いと聞かせて頂きます。
その為に神様は心を鬼にして苦労の道を与えて下さるのだと教えて頂きました。
辛いものは辛い。
でもその辛さを十分に味わい、これも神様のご守護だと、満足の心で受け取らせて頂く「たんのう」の心が大切だと思います。
それが、教祖ひながたの道を通らせて頂ける事になるのではないでしょうか。
偉そうに語ってしまい、申し訳ありません。
陰ながら応援しています。

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おやさまの御教えに背く教会長に対し、信仰心を 親神様、教祖へ向ける教会長だけが 教会長の資格があるとのコメントへの返事その2   コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

神殿の上に部屋を造るとは酷い話ですね。仰られる通り、普段の信仰態度もきっと神様を平気で踏みつけるような信仰をしておられるのでしょう。

実を言うとうちの布教所もよく似た事をやっています。
神殿普請の時に、神床の下にヘドロが埋めてあると聞きました。
元々田んぼを埋め立てて建設された神殿なので、神床の下には少々高額でもきちんとした土を埋めなければいけないのに、安く手に入るヘドロを埋めたのです。
周りの意見など決して聴かない所長でした。
「儂の言う事を聞けばいいんだ!」
そんな所長でした。

晩年は特に酷かったです
ボクは医者に掛かっているのですが、自分は少し怪我をすると(絆創膏でも貼ってれば治りそうな擦り傷です)入り込みの者に運転させて病院へ飛んで行くのに、ボクが病院へ定期検査へ行かせて頂きたいとでも言おうものなら2,30分は愚痴を聞かされました。
理由を聞かれたから答えたのに「言い訳するな」の一言
決して「お仕込み」とは言えない愚痴ばかりです。

何故病院へ行くのをそんなに嫌がるかと言うと、お金が掛かるからです
自分の事で金が掛かるのは平気でも、他人の為に金がかかるのは許せない。貰った手当でやっているにも関わらずです。

何故そのような人が所長でいられるのか?
下のコメントにも書きましたが)そのような人も用木を育てる為に神様が目をつぶって置いて下さっているとうちの親父に教えて貰いました。
考えてみればたかが病院へ行くのに愚痴を聞かされた。
たったそれだけの事でどれくらい因縁を切って頂けたのか分かりません。
その中を神様だけをみつめて歩んで来た事がどれだけ自分にプラスとなったのか測り知れません!
なんて有難い事なのか!

これがもしも逆に、本当にいい人で、こっちの為に親身になってくれる信仰上にも頼りになるひとだったとしたら?

神様よりも所長をめどにして、決して自分から神様の思いを求めようとかしていないでしょう。困った事があればなんでも所長に相談し、それを全て信じて解決していました。
自分の心を磨いてくれる人も見当たらず、所長の優しさに甘んじて、恩ばかりが積み重なっていた事でしょう。

あの所長であったからこそ、困った時は自ら神様の思いを求め、辛い中も喜びの心を持つことができたのです。

今はまだ夜明け前の仮の道と教えて頂きます。
本道が始まればきっとそんな人達には通るに通れない苦しみの日々が訪れる事でしょう。
それまでは大変な事も多々おありでしょうが、成ってくるのが天の理です。全て神様を信じてお通り願いたく思っております

偉そうに長々と語ってしまい、失礼しました

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おやさまの御教えに背く教会長に対し、信仰心を 親神様、教祖へ向ける教会長だけが 教会長の資格があるとのコメントへの返事 その3  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

お気持ちは大変分かります。
しかし、それは違うように思います。

「7分3分の理」(しちぶさんぶの理)というお言葉をご存知でしょうか?

自分も随分前に勉強した言葉ですので、上手く説明出来るか分かりませんが…

例えば!
大きな木を庭に植えるのに、十分な根が無いのでそのまま植えては枯れてしまいます。枯れないようにする為には余分な枝を切り落としてしまわなければなりません。

おさしづで

「どうしたらよい、こうしてらよいと、人間の心で出来る事は一つもあらせんで。人間の心で出けた事は一つも無いで。」

と、神様は仰られます

人間の考えで「お道のためにああするべきだ」とか「こうさせて頂こう」と考える気持ちはご立派だと思います。
しかし、所詮我々は目の前の、目に映ったものしか見えない人間です。
明日どころか、一分後、一秒後すらも分からない人間です。

そんな人間に、今からやろうとする行動が、果たして神様の思惑に本当に沿えているのかなどと、判断出来ません。
どこにどんな神様の思惑があるのか分からないのが人間です。
そんな人間の考えで何か大きな事をしようとしても、それは余分な枝として切り落とさなければなりません。

そこで「7分3分の理」です。
人間の考えで7分の事をすれば、理の働きにより、余分な枝は切り落とされ3分に変わってしまいます。

枯らさない為には切り落とさねばなりません。

それは、簡単に言えば、頑張って7歩歩いても、神様に受け取って頂く理は3歩だけだという事です。

この神様は「苦しめよう、困らせようとの神様では無い」と聞かせて頂きます。「日々に親の思案というものは 救けるもようばかり思てる」とも聞かせて頂きます。
「成ってくるのが天の理」です。
全ての出来事は神様による、世界一列を救けるための出来事です。
それを人間の考えで邪魔しようとする事は許されません

「成ってくるのが天の理」と心に治め、神様にもたれ、全てお任せし、どんな辛い事も、納得出来ない事も、神様の思惑として「たんのう」の心で通させて頂く事が大切ではないでしょうか?

人間の考えで大きな事をする必要は有りません。どんな小さなものでもひたすら積み上げた小さな真実を大きく受け取って下さいます。
その3分の真実を7分の理に受け取って下さいます。
一歩ずつしっかりと進んだ3歩は7歩として受け取って下さるのです。

それが「7分3分の理」と父から教えて頂きました。

自分達でどうにかなるものではありません。
神様の大きな思惑が有ります。

「日々に親の思案というものは 救けるもようばかり思てる」
という事は、この世は全て、どんな些細な事も、どんな大事でも、世界一列を救ける為に、寸分の狂いもなく神様が動かして下さっているのだとは思いませんか?

納得行かない気持ちも分かりますが、それは人間の考えであり、偉大なる神様の思惑の前では何の意味も持てません。

麻原彰晃だって神様の思惑だとボクは思います。
逆に麻原が出て来たのが神様の想定外でしょうか?
そんな神様では不安です!今すぐ信仰をやめます!

こうしてひまわりさんを始め、色んな方がこの記事にコメントを下さいますが、それも神様がボクの成人の為に引き寄せて下さったのだと思います。
簡単に気を抜いてしまうボクに「しっかりしろ」「気を引き締めろ」と喝を入れて下さっているのだと思います。

全て神様にお任せし、どんな事も「結構、結構」と言って通らせて頂きたいです。

ひまわりさんのお言葉
> 所属教会長は自分自身を磨いてくれる鏡だと思えと言う言葉はおやさまの御教えに努力しない教会長達の言い訳

これについても神様の思惑をおさしづから思案させて頂く事が有ります。これも後日、記事として書かせて頂きますので読んで頂けると幸いです。

神様をめどに、お互い頑張りましょう

※このコメントを書いた後に読み返したところ、書いてる途中で段々話がずれてしまっていた事に気がつきました。
本当に言いたかった事はこの話ではなく、こちらの記事をお読み下さい
むさくろしい者も一時寄せてある

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現在の天理教身分制度は酷すぎるとのコメントへの返事  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

>前世の行いがいいから楽して通れる?井の中の蛙もいいところ。

確かにそうですね。

上の立場で有りながら好き勝手やってる人の話を良く聞きます
そういう人を見ると人はよく「余程徳があるんだね」と言いますが、反対だと思います。
徳が無いからどんな事をしても神様から教えて頂けない。
何か有る度に神様から教えて頂ける人はそれだけ神様から大切にされているからではないでしょうか。

生き神様とまで言われた上級教会の初代会長は「僕はちょっとも気が抜けない」と仰られたそうです。
少しでも気を抜いて自分の好きな事をすればすぐに出直してしまうだろうと仰られたと聞かせて頂きます。
それが真実でしょう。
徳が有るから背負っているものが違います。
徳が無いから何をやっても教えて頂けない。

うちの所長の息子さんもそういう人でした。
生まれた時から次の所長になる事が決まっていた人です。
所長も所長で、信者が息子に注意でもしようものなら「俺の息子だぞ!」と怒鳴っていたそうです。
酷い時はそれが原因で出入り禁止にされた人もいるそうです。
そうやって身分に甘やかされて育っているので所長以上に手に負えない人でした。
それでも自分は立派な布教師のつもりでいます。
最後には信仰が耐えられず、姿を消しました。

娘さんは信者の影で(バレバレですが)父親である所長に暴力を振っていました。

余談ですが、何故分かっていて止めないかと言うと、所長は体裁を良くしたい人で、家庭内暴力を必死で隠しているのでこっちも何も出来ませんでした。下手に手を出して余計悪化する恐れもあった為。

話は戻ります…
所長亡き後、40を過ぎていたのですが、縁談が決まりました
相手は社会でもお道でもちょっとした位の有る家庭です。
結局そういう因縁なのでしょう。

一つ下のコメントにも書きましたが、用木が立派に育つ為の「肥料」のような因縁。
うちの所長は上級教会の初代会長より「お前の家は東海並木の肥やしの因縁だ」と教えて下さったとお聞きします。
「並木」では無く、並木を育てる為の「肥やし」です
本人らはなんの事か分かっていませんが、確かにボクらを育てる為の「肥やし」となってくれました。(僕自身はまだまだですが)

教祖は「大社高山あとまわし」「谷底せり上げの道」と教えて下さいました。

現在の身分制度に甘やかされ、何も苦労を知らず育った人達は、全てでは有りませんが、まさにそういう人達なのでしょう。
後回しにされる「大社、高山」の人達です。
それよりも「大社、高山」の言いなりにさせられている「谷底」を救けるための今の仮の道ではないでしょうか?
谷底を救けると言っても今の状態が良くなるだけで本当に救かったとは言えません。
長く積み重ねた神様への残念や悪因縁を取り除かなければなりません。
その為の「肥やし」となってくれる人達ではないかと思います。

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教会に多くのご不満を抱き、教会の人々に辛く当たられるとのコメントへの返事  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

なるほど、信者にお供えしろと言う教会は要するに生活費が足りないからというのもあるのですね。
まか確かに生活するのにお金も必要ではありますからね…

それにしても、ですよねぇ。
教祖は赤貧のどん底に落ち切られやっと手にした米も、何の惜しげもなく人に施されたと、
その中を勇んでお通り下さったと、誰もが聞かせて頂いた話なのに…

父は人間を立てる信仰ではなく、神様を立てる信仰だと教えてくれました。
教祖も「神さんめどやで」と教えて下さいます。

貴方の仰る通り、神様と自分の一対一の信仰心が大切なのでしょう。

本文にも書いた通り、長年所長に苦しめられたボクらは、ついつい神様を見失っていました。所長に気をとらわれず、神様だけを目標として進むように父に励まされました。
そして去年出直しました。

今現在、上級教会より、留守番先生としてある先生が一ヶ月に十日間来て下さいます。
本当に立派な方で、こんな布教所にこんな素晴らしい先生が居ていいのか?というくらいです。
ただ、立派な先生でも逆に神様を見失ってしまうものなんですよね。
「その先生について行けば」と、先生をめどにしてしまいそうで…

いつでも神様をめどに頑張っていきたいと思います。

リエポンさんも随分苦しんでいるご様子
どうか負けないで頑張って下さい
陰ながら応援します。

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新しい教会長夫妻に対する限界から天理教を辞められた方のコメントへの返事 その1  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

今は時間があまり無いので全文読んではいませんが、時間のある時にじっくりと読ませて頂きます。
また、折角コメント頂いたのに返事が遅れてしまった事、お詫び致します。

軽く流し読みさせて頂きましたが、お気持ち凄く分かります。本文にも書いた通り、うちの布教所も長く君臨し続けた所長に、我ら入り込み者はかなり苦しめられて来ました。

ネットを見ているとそう言う人種は多いようですね。
天理教の指導者でありながら、人を苦しめている人達。
人間である事も疑わしいような人達。

ボクはその手の人間を「プレシャス」と呼んでいます。
プレシャスとは「貴重な」と言う意味。
何故そんな人が貴重なのか…

うちの所長はおもてヅラは良いので、参拝に来る信者さん方は所長を信じている方もいますが、毎日のように来て下さるコアな信者方々は内情をよく知っています。

「入り込み者の皆はよく耐えられるね。出て行こうとは思わないの?」と聞かれた事もあります。

確かに正直言うと出て行きたいですよ。

他所の布教所に変わりたいですよ。

所長は「お前らが居なくても布教所は困らないぞ、出て行きたければすぐに出ていけ」とか言ってますが、実際に皆が出て行って一番困るのは彼なんですよね。

そんな簡単な事を考える事も出来ない所長に思い知らせてやりたいですよ。(まぁ、彼の場合はそんな事を言ってもボクらに出て行く気が無い事を知ってて言ってるんですけどね)

所長から離れたい気持ちは皆ありますよ。

でもボクらが信じているのは所長ではなく、神様です。
苦しめよう、困らせようと言う神様ではないと聞かせて頂きます。

「にんけんもこ共かわいであろをがな
  それをふもをてしやんしてくれ 」
「にち/\にをやのしやんというものは たすけるもようばかりおもてる」
(人間も子供可愛いであろうがな、それを思うて思案してくれ)
(日々に親の思案と言うものは、たすけるもようばかり思うてる)

と聞かせて頂きます。
苦しめようと言う神様なら「やってられっか!!」と、所長を2.3回殴って今すぐ荷物をまとめますが、親神様は我ら人間をわが子として、たすけたいばかりだ、と教えて下さる。それならそこは考え直します。

苦しめる神様ではないのであれば、今の現状はなんなのか、こんなに苦しんでいるのは何故なのか?
ただの偶然では有りません。

成って来るのが天の理ですから、きっと一列をたすけたいと思し召し下さる神様に考えがあっての事。

言わば、神様からの試練です。
ボクらも辛いです。
でも一番辛いのは何も分らない可愛い子供にそんな道を与えなければならない神様だと、父親は教えて下さいました。

少し話が逸れるようですが、ボクには可愛い甥っ子と姪っ子がいます。

もうすぐクリスマスなので甥っ子達が喜ぶようなプレゼントを買ってあげたいばかりですが、信仰するものはやはり小さい頃から恵まれてはいけないと言う考えから、いつも買ってあげるのは500円程度のお菓子です。

先日妹とその話をしておりまして、やはり妹も同じ気持ちでした。

本当はすんごい物を買ってあげたい。
でも、子供の将来の為を思うと買ってあげないのが子供の為だとは思う。
でも他人の玩具を見て羨ましがる姿を見るのは辛いのだとか。
で、どうしても買ってあげてしまうらしいです。

うちの両親はボクら兄弟にお菓子や玩具はあまり買ってくれませんでした。
子供に買ってあげるのを我慢して、毎月十万お供えしていた(お供えを強要されたのでも無く)そうです。

家族の生活レベルを下げ、子供達に買ってあげたい気持ちを抑えてのお供えです。頭が下がる思いです。
ボクにそれをやれと言われても無理でしょう。

僕らの徳分を考えるとそれぐらいでなければ通れなかったと思います。

話を戻しますが、神様も同じだと思います。
子供を今すぐ幸せにしてやりたい。

そう考えるのが親と言うもの。
それでは通れない因縁を持つ子供のために、心を鬼にしてこう言う道を与えて下さるのではないでしょうか。

それを考えると本当に有り難く、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

折角辛い思いをして与えて下さっている道を、人間の方から拒否してしまってはいけません。

神様はたんのうの心が大切だと教えて頂きます。

辛いものは辛い!苦しいものは苦しい!
でもその苦しみを十分に味わい、神様の御守護と受取るのがたんのうだと、父は教えてくれました。

ボクがプレシャスと呼んでいる人種は、(本文にも書きましたが)神様が一時的に置いているのだと教えて頂きます。

人間は隔てなく神様の子です。プレシャスも例外ではありません。因縁の心に負けて汚い心を使っている子供を今すぐ出直させてやり直させて上げたい所を、世界一列をたすけると言う、大目標の為に目をつぶって置いてあるのだそうです。

それを考えると、自分の心を、因縁を磨いてくれる人達です。
神様が心を砕いて置いて下さっている人達ですから、本当は有難く、貴重な存在なのですね。

どうか今の現状を神様の御守護と理解し、辛い中も神様に感謝して、神様だけを目標に心を倒さずお通り頂きたく願っております。

長々とえらそうに語ってしまいました。
お許し下さい。

━━━━━━ ※7 ━━━━━━

新しい教会長夫妻に対する限界から天理教を辞められた方のコメントへの返事 その2  コメントを見る

▽▼▽▼▽▼返事▽▼▽▼▽▼

なるほど、かなり辛い思いをされたようですね。
そのように法外な額のお供えを強要する教会がきっとまだ幾つも存在するのでしょう。考えられませんね。

しかし…
一千万で助けてやるとは恐れ入りますねぇ…
たすけてくれるのは人間ではなく神様ですよね。
もう完全に心に神様が無い証拠ですよね。神様よりも自分を信じてしまっている。

ただ、貴方は天理教を辞めたと仰いましたが、ボクはまだまだ貴方が天理教を辞めたようには思えません。

確かに教会には行かなくなり、形としては「天理教を辞めた」
のかも知れません
しかし、「天理教を信仰」するのは辞めてはいないのではないでしょうか?

天理教とは教会に参拝したりお供えする事が天理教ではないかと思います。
逆にいくら教会に参拝し、お供えをしていても信仰しているとは言えない人もいます。

貴方は前のコメントに「おやさまが大好き」「困っている人がいたら助けたい」と仰っていました。
神様を信じ、教祖の教えを尊び、助け合いの心を忘れない。それは十分「天理教を信仰している」と言えるのではないでしょうか?

「純粋に、おやさまが大好き」
「困っている人を助けたい。」
ボクには貴方が素晴らしい信仰者であるように見えます。

頑張って下さい。