毎日分からないながらもおさしづを読ませて頂く。(よく脱線するけど)
本当に分からない…読んでてさっぱり。
父が毎日おさしづの研究をしている。
毎朝3時に起きておさしづを読み、昼は御飯を食べずにおさしづを読む。
ほとんど自分のことなんかやる暇ないし、やらない。
風呂と食事だけ。テレビもほとんど見ない。
ボクが学生の頃の父はあんなにテレビが好きで、中日ドラゴンズが好きだったのに、おさしづを読み始めてからは、本当に見なくなった。
酒も煙草もきっぱり辞めておさしづに没頭している。
毎日おさしづとにらみ合い。
その父が言っていた。
おさしづの中で分からない言葉はおさしづで調べる。
「なんのこっちゃ!」って思うけど…
例えばおさしづに『神一条』と言う言葉が出て来る。
人間的に知恵だけで考えれば意味だけは理解出来るかも知れないが、神様のお心にある『神一条』とはどんな意味を示すのか?
知恵や学問だけでは分からない。
そこで『神一条』と言う言葉が出て来るおさしづを一つに纏めて読ませて頂く。
すると父曰く、『神一条』の意味がよく解るそうです。
そう聞いて色々と調べてみるも…やっぱり分らん!
でもボクの場合、分らないと思って投げ出すからダメなんですね。
同じく弟がおさしづの中に出て来る『誠』という言葉の意味を調べていて、朧げながらにも分かって来た事を教えてくれた。
ここはああで、ここはこうで…とか。
すごいなぁ。俺全然わっかんね~
俺はそう言う理解力がないもんで…やっぱり駄目だな。
って言ったら、弟が
「俺も分らんかった」って
以前に彼は自由自在(じゅうようじざい)と言う言葉を調べていた。
確かにあの時は「分からん」と言っていた。
しかし、分からないながらも読み終わってみると、何となく頭に入っている、「こう言う事なのか」と自然に浮かんで来る。
と、弟は言う。
確かに、考えてみれば頭が良ければ出来る道じゃないし、頭が悪ければ出来る道でも無い。
おさしづに
深き何でも十分の学をし、十分の学を治めよう。智者学者あっても何にも治まらせんで。
とあります。
分からなくても、低い心で必死に神様の思いを求める。
その心を神様は受け取って下さるのではないでしょうか。
木の根っこの話を父から聞いた事がある。
木の根っこは水を求めて、下へ下へと根を伸ばす。
お道も一緒で、低い低い心でただ我武者羅に、ハングリーに神様の思いを求めるのだ
…と。
また、人の体は食事で栄養を摂り、体が丈夫になる。
心は神様のお話を聞かせて頂いて心が強くなる。
…とも。
ボクなんかは弱~い弱~い人間心でして、神様のお言葉はこうだけど、実行する事が出来ない。
人間心にいつも負けてしまう。
しかし、毎日神様のお話をお聞きして、「なるほど」と納得し、心に治める。
それが心に栄養となって、強くなるそうです。
そう言えば以前のボクは神様のお言葉を勉強しようとか全く考えていなかった。
…が、今は(時々脱線しながらも)何とか神様の思いに近付きたいと言う意識になって来た。
ちょっとしたきっかけなんですよね。
ちょっとの心の向きを神様が大きな力で支えて下さると、父が教えてくれた。
だからやっぱり分らなくともおさしづを勉強し、神様の思いを求める事が大切な事だと思います。