ブログネタ: 早起きしてやっていること、やりたいことを教えて!
散歩!
人よりちょっとだけ早く起きて、一人朝の道を歩く…昼間では見られない、それはとても爽やかな景色。
清々しくていいよね~……きっと(ボクはやってませんけどね)
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冗談はさておき…
天理教教祖、中山みき様の教え、「朝起き、正直、働き」
この「朝起き」
勘違いされやすいんですが、ただ朝早く起きればいいという訳ではないようです。
ボクもそう思っていたんですが…
教祖("おやさま"と言います)のこんなお言葉が有ります。
「朝早く起きて人さん起こすのと、起こされるのでは、大きく徳、不徳に分かれるで。」
それは朝、ただ単に「人を起こして廻れ!」
と、いう意味では無く、朝起きて人の為に何かをさせて頂く事が大きな徳積みになると言う意味だと聞かせて頂きます。
そして、徳積みと言えば教祖のお言葉に
「徳を積ませて貰おうという心はいかんで。」
と有ります。
最初は「何故!?」と思いましたが「徳を積む」では自分の為だからです。
「我が心は人の為」
人の為に、という心が徳を積む心なのです。
なので、話を纏めると、朝起きて人の為に何かをさせて頂くのが「朝起き」の徳になる。
(あれ?さっきと言ってる事変わってねぇな…)
分かりやすく言いますと…
昼は働く時間です。その時間に働くのは当然であって、
「俺って真っ昼間から働いてるんだぜ!すげえだろ!?」
と言われても…ですよね。
逆に朝、夜明け前は、まだ寝ていて良い時間です。要するに「自分の為の時間」なんです。
その時間に人の為に何かをさせて頂くって…それこそ素晴らしい事ですよね。
その心を神様は受け取って下さいます。
そして大きな徳になるのだ、と教えて頂きました。
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天理教信者さんへ
これはボクが勉強させて頂き、教えて頂いた事の中でかなり重要な事だと思わせて頂いた事です。とても熱心におさしづの研究をされている方から教えて頂きました。
その方は「その時がもうすぐそこまで迫っている」と言われます。
また、同じくおさしづの研究をしている別の方が、「もう時間がない」と仰っていたそうです。それは知り合いの人ではなく私の知人がネットでそう警告しているのを見つけたと教えてくれました。
二人とも勿論打ち合わせたわけでも無く、おさしづを研究している二人、顔も知らない者同士が同じ事を言っています。
本当に通るに通れない日が迫っているんだと思います。
その方に教えて頂いた事をこの場で伝えたいと思います。
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この道は「本道」が始まる前の、まだ「仮の道」と教えて頂きます。
仮の道とは「夜明け前」の道
今この世界はまだ神様の御守護がはっきりと目に見えてはいません。
お話を聞かせて頂いて「なるほど」と思っても、それが本当に間違いないか?と問われても神様から直接聞いたわけでもないので、それは分かりません。
また、違う事だ、いけない事だと教えて貰った事をやってみたって、すぐに天罰があるというわけでもない。
神様のお働きが目に見えない、真っ暗な、夜明け前の道です。
今は何をしていても通れます。
酷い言い方をすれば、犯罪を犯した人が悠々自適に暮らせたり、真面目ないい人が病気で倒れたり…
しかし、いずれその時が来て、本道が始まれば夜が明けて、神様のお働きがはっきりと見える日が来ます。
泥棒をしようとすると、手が動かなくなったり…
男女が色情の間違いをするとくっついたまま離れなくなったり…
誰もが神様の存在を知り、はっきりと見える「昼間の道」となります。
昼間になってから徳積みをしようとしても遅いそうです。
今、信仰に付いている我々は、世界だすけを思し召し下さる親神様の手足となって働かせて頂かなければならないと思います。
この「世界だすけ」の日が来て、世間の人と一緒になって倒れていてはいけません。
何をしていても通れる今、どういう心でいるか、神様は見て下さっているそうです。
そして本道が始まるとそれまでの心が末代まで治まるそうです。
はっきりと見えてから「一生懸命やります!」と言ったって通りません。
まだ、何をしていても通れる今、神様のお心を求めなければ
夜明け前の、この「仮の道」である今のうちに、「本道が始まった時に、一人でも多くの人を救けられるように、神様の思いを求めよう」「どうすれば神様の思いに近づけるか、勉強をさせて頂こう」
そういう心で、神様のお心を求めるのは「朝起き」と同じ心と教えて頂きました。
教祖が
「苦労したくても苦労出来ない日が来るで。今のうちにしっかり苦労させてもらいなはれや」
と仰られたそうです。
苦労出来ないって、なんて素晴らしいんだ!と、思うでしょうが、そうでは有りません。
今しっかり道の為に苦労させて頂き、道に尽くさせて頂く。それを末代まで神様はお受け取り下さいます。そして本道が始まったら、今までそれぞれが尽し、果たした真実は末代まで失う事の無い天の与え「たすけの理」に代わると教えて頂きました。
それを見て、今からでも苦労させて頂きたいと言っても苦労出来ず、たすけの理は頂けないのだそうです。
教祖はそれを教えて下さったのだと思います。
ただ苦労しない日が来る、と言うだけの意味なら、「今のうちにしっかり苦労させてもらいなはれ」と言う言葉にはならないのでは無いかと思います。
今出来ること。
それは朝、夜明け前に起きて、いつか来る世界だすけの為にしっかりとお道の勉強をさせて頂き、しっかり神様のお心を求める事だという事です。
この世は全ておさしづ通りに治まる道だそうです。
どんな事でも、分らなくてもおさしづに尋ねる事が大事だと教えて頂きました