このブログで天理教用語を出しますので、用語が全く分からない方の為に、自分なりに用語の説明を書いておきました。
飽くまで参考程度に見てください。
また自分なりに気付いた事が有れば書き直します
『たんのう』
親神様は人間を真から救けるために、一時的な苦労を与えて下さいます。
その苦労に対してたんのうの心を使わせて頂く事が肝心だと教えて頂きます。
たんのうを辞書で調べると「満足すること」とあります。
「たんのう」とはよく味わい、満足することだと父は教えてくれました。
世間一般で「堪能」というと「中華料理を堪能する」「温泉旅行を堪能する」などと使うと思います。
中華料理を少し食べて「あんまし好きじゃないんだよな。」と言って不満のまま終わったら「中華料理を堪能した」とは言いません。
美味しい中華料理をよく味わい、心ゆくまでしっかり食べて、味も量も十分に満足したなら、堪能したと言えます。
温泉に入って「ぬるいしお湯汚えし、最悪」と言って帰ったら「温泉旅行を堪能した」とは言えません。
良い湯にしっかり浸かって、しっかり楽しむことが出来たなら堪能したと言えるでしょう。
それと同じことだと思います。
天理教でたんのうと言えば、とにかく喜べばいいと勘違いされがち…と、言うより私は以前、そう勘違いしておりました。
しかし、辛いものを無理に喜べということではありません。
辛いものは辛い。苦しいものは苦しい。
でもその苦しみをしっかりと味わい、これも救けていただく為の神様のご守護だ。これで良いんだ。結構なんだと感謝して十分に満足すること。
時には不足してしまう時も有りましょうが、そこで不足したままで終わるか、思い改め「いや、これで良いんだ。結構だ。」と感謝して心の向きを変えるのかは、大きな違いだと思います。
その心を神様がお受け取りくださり、救けていただけるのだと教えていただいております。
また、おさしづに
ならん中たんのうするは、前生さんげ/\と言う。
不自由の処たんのうするはたんのう。徳を積むという。受け取るという。
いんねんという、いんねん一つの理は、たんのうより外に受け取る理は無い。よう聞き分け。しっかり一つたんのうの理を治めてくれ/\。
と、教えていただきます。
ならん中、不自由の中をたんのうするのは簡単なことではありませんが、その中をたんのうすることが、前生因縁のさんげ(懺悔)であり、徳を積むものであり、それ以外に受け取っていただく理は無いとまでお聞かせいただきます。
天理教被害の掲示板を見ますと、「病気になるのは心遣いが悪いから」とか「お金をお供えすればよくなる」と脅されると言う批判を目にします。
そんな事を言う布教師が実際にいるのでしょうが、そんな人は相手にしなくていいです!
天理教はそんな程度の低い教えではありません。
総ては人間を真から救けたいと思し召し下さる神様のご守護です。
世間にも試練という言葉が有りますが、苦しみも悲しみも乗り越えてこそ、人は育ちます。
辛いからと言ってクヨクヨするのは、神様の試練を否定する行為だと思います。
苦しみも、悲しみも、よく味わい、堪能する事が救かる道だと思います。