そして今日も心得違い

反省と勉強の日々。にをいがけと話の勉強を兼ねた天理教ブログ。

畑の前にビックリな物が!

当布教所には離れが有りまして


畑の前…というよりは横といいますか。



数ヶ月前に引っこ抜かれた木の根っこが置いてあって

その根っこの前に大変丁寧な置き方である物が置かれて居ました
Cocolog_oekaki_2013_11_17_11_46
全体をかなり適当に図にするとこんな感じ
木の根っこに優しく囲まれるように置かれていたその正体は
なんと!!


ビールの空き缶…


側溝や畑の付近
要するに、入口から近い所にゴミが捨てられているのはよく目撃されますが…
あんな所に捨てたということは
ワザワザ10メートルほど歩いて丁寧に置いていってくれたようだ
そこまで歩く労力を使うのなら、同じくらい歩けば自販機の横に空き缶のゴミ箱があったんだが…
ちょっと目立たないから仕方ないか
でもそこまでしなくても入口付近にでも置いてってくれれば始末したのに( ̄▽ ̄;)




そのゴミ
ありがとうございます!喜んで始末させて頂きます!




空き缶は資源ゴミなので、洗って捨てさせて頂きます


ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!
ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!
ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!








え?



「藤太郎ごときがそんな心遣い出来るわけがない」


とか思ってません?
いや、ボクでも思ってます
ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!

ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!

ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!

↑これはちょっと言い過ぎました
こんなことまで考えられる心持ってません



でもゴミの後片付けは喜んでさせて頂く事が出来た



なぜか!
その答えはこちら
父から教えてもらった心遣い



一瞬だけ「オイオイ」とかちょっとよぎったけど

すぐに切り替え、喜んでさせて頂く事が出来た




世間に居たらこんな心遣いでゴミ拾いなんて出来ません

いや、むしろ捨てられたゴミを目立つ場所に置いて

「自分のゴミくらい自分で始末しろ!」


とでも書いた看板立てて

意地でも自分では片付けなかったでしょうね。



そして不足した分は自分にも降りかかって来ます



しかし、こうしてお道の上にお連れ通り頂き
曲がりなりにもお話を聞かせて頂いているお陰で


こうしてどんな事でも(上っ面だけですが)喜びの心で受け取らせて頂く事が出来る



その心が神様にお喜び頂けるのであればこんなにも素晴らしい事はない



なんて…
そんな事を、空き缶を洗いながら柄にもなく考えて居ました。